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東京帝国大学時代 俳三昧


二 東京帝国大学時代(明治三十七年~四十一年)

 俳三昧

一年時 その二で触れましたが、河東碧梧桐らの行った「俳三昧」は、
なかなかハードな俳句鍛錬会だったみたい。
またしつこく金田一京助氏の文章からエピソードを借りますが、
それはホントにしんどかったらしく、

『何の因果だらうとまづ悲鳴を挙げられたが本当に、僕もつくづく今日はさう思つちやつた』
(「俳句研究」昭和十二年八月号『大須賀乙字の想ひ出』)

と、下宿にやって来た大須賀乙字がそう語ったという…。
まず悲鳴をあげた人物は、小沢碧童だったとのこと。
最初は、碧梧桐と碧童の二人、その後乙字が参加し、
そのうち兵役から帰って来た喜谷六花も加わっての四人。
これが基本の俳三昧のメンバーでした。
小沢碧童は、乙字と同い年で、魚河岸の若旦那。
喜谷六花は、台東区にある梅林寺の住職で、四つほど乙字より年長。
乙字、碧童、六花は、碧門の三羽烏と呼ばれる古参弟子となるわけです。
のちのちこの俳三昧はもうちょっとメンバーが増えるんですが、
当時はこのぐらい。しかし鬼気迫る鍛錬会で、
時には、碧梧桐の奥さんに買いに行かせたパンをかじりながら、
ということもあったみたい。

このエピソードも金田一が書き残してることで、
海紅堂の句会に、京都から大谷句仏が参加した折の話。
大谷句仏という人は、真宗大谷派の第二十三世の法王。
そんなど偉いお方とも、身分を忘れて句会に同席できるって話の中で、
ただ一人、同じお坊さん同士で、その身分をナシには出来なかった六花が、
句仏選の一枚を手に取る時には、一度席を立って手を洗ってからだった
ってな話を(多分乙字から)聞いて、
金田一は、ユカシイ話だと思ったそうです。
この句仏参加の句会について、金田一はそれが俳三昧の折だと書いてますが、
多分金田一の勘違いだと思われます。
高浜虚子の「五百句」に

「明治三十九年五月三十日。大谷句仏北海道巡錫の途次来訪を機とし、
碧梧桐庵小集。会者、鳴雪、句仏、六花、碧梧桐、乙字、碧童、松濱」

と、あるのが、
その金田一が漏れ聞いたエピソードの舞台だったんじゃないかな。
ちなみに、この大谷句仏という人物は、
この年から始まった、碧梧桐の全国俳句行脚の大スポンサー。
旅費だけじゃなくて、長く主不在になる海紅堂のお留守番役へのお小遣いまで
大谷句仏が出してくれたとか。
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 2014_09_15


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