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「石楠」後半  論戦



九 「石楠」後半(大正六年~七年)
 論戦

大正六年三月、
大須賀乙字は読売新聞紙上に「迷惑せる現俳壇」と題する俳論を発表します。
これは六日、七日の二日にわたって掲載されたもので、
「迷惑」はいわゆる人を困らせるというような意味ではなく、
迷い惑うという意味で、
この現俳壇を迷い惑わせる代表的な作家として
河東碧梧桐、荻原井泉水、高浜虚子の三人を批判したものでした。
これについて碧梧桐と虚子は何も言わなかったとか。
虚子は昭和になって
乙字は碧梧桐の弟子で、私とは関係なかつたです。
虚子を倒さなくちやいかん、
虚子を倒さなければ俳句の革新は出来んといつて
私を目の敵にして議論したのだと云ふことだが、
私はあまり其文章を見なかつた
」(高浜虚子『俳談』)
と言っているように、
乙字の攻撃について表立って何か反論することは無かったみたい。
碧梧桐の方も完全に無視の構えだったのかも。
 しかし世代的に遠い碧梧桐や虚子と違って、同世代だった井泉水の方は、
三月九日、十日、十三日の三日に渡って、
「俳論に於ける理解の越権」と題して乙字へ反論します。
十六日、十七日には乙字が「井泉水氏の俳論を駁す」を書き、
二十五日に井泉水が「錆びた鏡を磨くべきこと」を発表。
ここで、あまり長く論争が続くと困る新聞社の方で
打ち切りを申し出て二人の論戦は終ったとか。
ここの記事が読めたら面白いだろうと思います。国会図書館にコピー頼めばいけるかな。

さて、
この論戦によって、乙字と井泉水の関係がより悪化してしまったようで、
外野は、仲人と花婿が喧嘩してるとうわさしたとかなんとか。
井泉水さんとは、大学時代から御一緒で、
奥様が主人の教え子でそのお仲人をしたこともあり
親しくしておりましたのに、
読売新聞紙上で俳論について論戦をたたかわしたりした以降は
ずっと疎遠になってしまいました

と、乙字の没後、まつ子夫人が語ってます。
ちなみに、このまつ子夫人の談は、
意外にあちこちに少しずつ登場したりしてます。
しかし、まつ子夫人と再婚したのが大正五年の暮れで、
乙字と井泉水が激論を交わして疎遠になったというのが翌六年の三月なので、
どのぐらい親しくしてたのを知ってたのかなと
ふっと思ったり。
意外にそれまで家族ぐるみでお付き合いがあったんでしょうか、
それとも、「そう聞いてたんだけど」ってぐらいの話なんでしょうかね。
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 2015_04_07


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