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亜浪「石楠」  東京音楽学校 その3



  八 亜浪「石楠」(大正三年~五年)

 東京音楽学校 その3


東京音楽学校での、大須賀乙字について。
もうすこしだけ、書いてみたい、
というか、わたしの文章じゃなくて
ほとんど引用になってますけども。

音楽家の小松耕輔は、教員仲間だったようで、
乙字も小松耕輔も酒が好きだったことから、
残っているエピソードもその関係。

同じ母校の国語教授大須賀乙字(績)は、碧梧桐、虚子にならぶ子規門下の巨匠として、俳論に実作に縦横の活躍をした人だが、その酒はいかにも文人らしく、優しく上品だった。酔がまわるとよく元禄時代の小噺などを得意とした。
耕輔が、長年なじんだ短歌から離れて晩年は俳句を専門に詠んだことは、それは万古刀庵たらぬ俳人乙字の"酒ぶり"を身(み)につけたものといえるだろう。


という文章は、
あきた(通巻72巻)1968年(昭和43年)
人・その思想と生涯(28) ◆ 小松耕輔 (小松末松)
の中にあります。

俳句関係者との酒の付き合い方と、
全く違うイメージの「優しく上品」という言葉にびっくりしますが、
どうも、基本的には、乙字はそういう人だったみたい。

多分、それについて書くのはまだ先になるとは思いますが、
親友だった三井甲之の『親鸞研究』はしがきにある

同志大須賀乙字が虚子碧梧桐一派とは別の道を行くのを正しいと思っておったが、乙字が晩年文士連と交際して飲酒の機会の多かったことも早世の原因の一つとなったらしい。

の中の、「文士連と交際して飲酒の機会の多かったこと」というのは、
岩野泡鳴の主宰していた「十日会」のことを指してるんじゃないかと思うんですが、
ここでも乙字は、
なかなか紳士的な人だったみたい。

もう一人、音楽学校の邦楽調査掛調査嘱託として、
後に音楽評論家として活躍した兼常清佐という人が書いたものを紹介します。
兼常は「俳人オツジと575物語」という随筆を書き残してます。

 私は「俳句というものは、下らないものですなァ!」といったら、オツジはげらげら笑っていた。その笑った様子ではなかなかの好人物で、舎監をするような悪党とは思えなかった。そのあとでオツジは俳句の事をいろいろ説法したようであったが、ろくろく聞いていなかったから、何を言ったか今は覚えていない。ただ覚えている事は、机の引出しから沢山の絵葉書を出して見せた事である。その絵葉書はトワダ湖から流れてくるオイラセの谷の絵葉書であった。
 オツジはしきりにそれを絶景だと賞讃していた。「俳句なんか作る人にこんな雄大な景色がわかりますか?俳句を作るには、古池に蛙が一匹いればよくはないですか」と私が言ったらオツジはまたげらげらと笑った。オツジは俳人のくせに、存外好人物だったらしい

(『音楽と生活 兼常清佐随筆集』「俳人オツジと575物語」)。

お酒の飲み方だけでなく、俳句について語るにしても、
相手が俳人かそうでないかで随分雰囲気が違うところが面白いです。

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 2015_03_29


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