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碧梧桐との訣別  海紅堂不祥事件 その1



七 碧梧桐との訣別(大正元年~四年)
 海紅堂不祥事件 その1

芥川龍之介が、土屋文明に「俳人はすごいことをやるよ」
と、言ったとかいう、
当時の文壇を騒がせたらしい事件。
それが海紅堂不祥事件。
公式にこういう名称があるわけではないみたいですが。
ともかく、それは大正四年のことでした。

最初に、その事件の前の話から。

「海紅」が創刊した三月、
かねてより郷里で療養していた大須賀乙字の妻千代が亡くなります。
この月には、この後書くことになると思いますが、
臼田亜浪の俳句誌「石楠」が乙字の協力のもと創刊されてます。
三月二十九日に千代が亡くなり、
翌月六日には東京へ戻った乙字ですが、
愛息子である精一はそのまま妻の里に残してます。
千代の父である宮内亀次郎が
毎日のように精一の様子を乙字に書き送ってくれていたらしいんですよ。
その手紙への乙字の返信によれば、
亜浪夫妻、小沢碧童、風見明成などが
色々と心配して世話してくれたということです。
四月の終り頃になって、やっと香典返しの作業が一段落し、
「人生と表現」に千代の遺稿として手紙を掲載することになった
という手紙も。
さて、
そのころ「海紅」では精力的に句評会が行われてました。
新しく船出した俳誌「海紅」のこと。
乙字にも会の案内が来てはいたんですが、
いつも何か用事があって行けなかったということです。
まあ、妻が亡くなって、その生活を立て直すには、
まだ短すぎる期間ですし。
しかし、五月十二日の句評会については、
是非出席してほしいと速達で案内が来たので、
さすがに乙字も出掛けることにします。
この会の当日のことですが、
『わが心の俳人伝』(河内静魚)には
その日、乙字は別の宴会場から直行したため酒が入っていた
とあります。
『大正俳壇史』(村山古郷)には
妻の亡くなったさびしさもあって、一杯傾けて来たのであろう
とあります。
どういう理由だったかは不明ですが、
とにかくその会に乙字が酒を飲んで参加したことは確か。
実際にその会に出席していた松下紫人が
乙字の死後発表した、乙字追悼文「其の夜」で
酒くさい氣配がするので、ふりかへると乙字君だった
と、その日の乙字との出会いの場面を振り返って書いてますし、
大正四年「海紅」六号で中塚一碧楼が
乙字は常より更に泥酔してきて」と、
喜谷六花は昭和四年の「俳諧雑誌」四月号の談話に
一番終りに乙字君はやつて來たと思ひますが、來た時はすでにかなり酔つぱらつてゐました
と語ってるのが載ってます。
まあ、とにかくその会で事件が起るわけですが、
とにかく乙字が酒を飲んできていたことだけは確かなんじゃないでしょうか。
ただ
その場にいて、後にそういう証言をしている紫人、一碧楼、六花は、
みんな碧梧桐&一碧楼派の人なので、
ものすごく乙字が酔っていたのかは判断がしにくいような。
碧童は、この日この会に出席してなかった模様。

へんなところで切りますが、
長くなったので、
事件そのものについては、次回。
ちなみに、
「海紅」の句評会で、酔っ払った乙字が無双
というような事件ではありません。
念のため。
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 2015_02_22


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