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碧梧桐との訣別  「海紅」創刊 その1



七 碧梧桐との訣別(大正元年~四年)
 「海紅」創刊 その1

城之崎で河東碧梧桐に激賞されながらも、
碧梧桐の選と添削に反発し
「試作」「第一作」などを作って
碧梧桐一門を離れた俳句活動をしていた中塚一碧楼ですが、
この頃再び大須賀乙字や碧梧桐の前に姿を出してるという。

一碧楼は大正元年に「第一作」一号を出して間もなく、
金銭的な事情もあって郷里の玉島に帰っていたとか。
ぶっちゃけ、遊び過ぎとか。
翌年一月に岡山の病院に入院することになったんですが、
そこで後に妻となるたづ子と出会い、
同年九月に二人は東京へ出奔した、と。
この時一碧楼に路銀を工面してくれたのは
岐阜の塩谷鵜平だったらしいです。

この人は、けっこうお金を持ってたみたいで、
碧梧桐が二度目の全国行脚の際、
まあ、この旅行自体は、京都の大谷句仏がお金を出してたんですが、
その送金が、句仏の事情で、一時遅れたことがあって、
その時、句仏の代りに碧梧桐にお金を出したのも塩谷鵜平だったとか。
このエピソードは、何で読んだんだったか、
はっきりは覚えてないけど、
多分『碧梧桐百句』(栗田靖)かなあ。
でも違ったらすいません。
確認できたら、コメント欄にでも付け加えておきますね。

まあ、それはそうとして、
ほぼ駆け落ちの様に東京へ出て来た一碧楼。
母親からの仕送りを頼みに、
たづ子と貧しい生活をしながらも、俳句の情熱は失ってないんです。
一碧楼とその仲間たちの同人誌「第一作」は
その頃にはもう七号を迎えていたとか。

さて、
その一碧楼と碧梧桐の仲を取り持ったのは、
「試作」創刊には加わったけどその後再び碧梧桐門に戻った
という経歴があった麻野微笑子でした。
微笑子は、
「試作」「第一作」の同人の山口葉吉という人物から、
一碧楼が東京に来ていることを聞いてて、
一碧楼を気にかけていたわけです。
この辺りのことは、
村山古郷の『大正俳壇史』に詳しく書かれてますね。
それはもうしっかりねっちり。
その再会の様子とか、その後の展開とか、
次回に続きます。
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 2015_02_10


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