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東京帝国大学時代 その三


二 東京帝国大学時代(明治三十七年~四十一年)
 一年時 その三

一高俳句会というのは、もともとは松根東洋城らが作った俳句会らしいんですが、
その後消えてたか消えかけてたかしてたものを、
明治三十六年に荻原井泉水や柴浅茅が復活させたものだそうです。
後で触れますが、井泉水と乙字は仲が良かったので、
その縁で出席するようになったんじゃないかと思われます。
ちなみに、井泉水らが復活させた一高俳句会には、
虚子と碧梧桐も出席してたんですが、俳句上の意見の相違から
しょっちゅう議論が沸騰したらしです。
大家同士の議論が目の前で繰り広げられるわけですから
同席してる一高メンバーも熱心に聞くわけです。
でも、なんとなく気まずくなってか
二人ともこの俳句会にはだんだん来なくなっちゃったんだとか。
これが乙字参加前の話なのか後の話なのかは不明。
乙字書簡集に、この年の書簡があればもっと詳しく分かったかも知れないけど、
明治三十八年からスタートで、しかも三十八年は一通しか載ってないんですよね。

この一高俳句会に乙字が顔を出すきっかけになった(と、わたしが考える)
荻原井泉水という人。
のちに「層雲」という雑誌を刊行して無季自由律俳句を進めた人ですね。
種田山頭火とか尾崎放哉の師匠としての方が有名なのかな。
余談になりますが、
私の手元にある本に載っている、この人の結婚式の写真を見ると、
美形なんですよね。
東京生まれ東京育ちでスマートでって雰囲気で乙字本にも書いてあるけど、
見た目からもうそれっぽい。
井泉水は乙字の三歳年下になりますが、東京帝国大学の同期。
三井甲之、金田一京助も同期ですが、それぞれ乙字の二歳下、一歳下になります。
年齢では。
井泉水は本名が荻原幾太郎で、一高時代は俳号を荻原愛桜と名乗ってました。
イニシャルを漢字に直したものですね。
これも金田一京助の書いてることなんですが、
入学当初、同じ言語学に入学してきた井泉水に、
「君は荻原愛桜生ではありませんか」
と、金田一が声を掛けたんだとか。
その理由が、
中学一年の時に、雑誌小国民へ記事を投稿した少年があって、
それが麻布中学一年の荻原愛桜生という名で、
その、眉目清秀な面影の写真の顔を
突如思い出したから。
青年時代も美形だったけど、少年時代もさぞ美形だったんでしょうね。
これをきっかけに二人は仲良くなったみたい。

乙字と井泉水も、大学時代は特に仲が良くて、ほぼ毎日会って、下宿へ行ったり、碧梧桐宅へ行ったりと親密に交流してました。
大学でもよく一緒にいるところを目撃したと金田一が書いてます。
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 2014_09_06


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