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碧梧桐との訣別  父死去



七 碧梧桐との訣別(大正元年~四年)
 父死去

前章の「妻千代について」が終って、
本当ならば大正四年から次が始まるんですが、
ぐるっと戻って大正元年。
家庭人、大須賀乙字ではなくて、
俳人大須賀乙字としての大正元年から四年までを、
この章でなぞっていきます。

明治四十五年が大正元年に変わった八月、
乙字は妻子をを伴って仙台に帰郷します。
父筠軒の見舞と看病の為だったんですが、
結局、その月の二十五日に父は亡くなってしまいます。
享年七十二。
実はその前の年に、相沢暁村に宛てた手紙の中で、
「仙臺父も不加減、いつ歸省の必要あるかも不知」
と書いてて、
実際、年末から新年、四月と何度も帰省してるんです。
で、
明治四十五年の初めから、
父の存命中に父の詩集を発行しようとその編集に着手してました。
病床の父もそのことは知ってて、楽しみにしてたらしいんですが、
残念ながら、間に合わなかった、と。
生前多くの僧侶たちと交遊があった父筠軒の葬儀は盛大だったらしいんですが、
遺言により仏式の戒名を許さなかったとか。

前章で、妻千代の戒名を乙字が付けたと書きましたが、
それについても、この父の戒名拒絶にしても、
現在のお寺システム(?)だったら、
破門ものじゃないかな。多分。

まあ、そんな感じで、
十月になって、やっと父の詩集「緑筠軒詩鈔」全三巻が出版されます。
発行は、乙字の仲人の一人である関内米三郎の長男彦太郎でした。

この年の暮れ、千代が発病し、
その後大正四年まで、乙字と千代の苦しい闘病生活が始まるわけです。

「乙字句集」を見ると、
明治四十五年から大正元年に十九句、大正二年は二十句と、
この頃の乙字の句は本当に少ない。
家族の死と病気の妻、教師としての職務、
自分でも後から反省するほどに激しい碧梧桐、井泉水、虚子への難論と、
当時知人への手紙に書き送った通り、
「泥の中を藻掻き行くやうな生活」の中で作句は難しかったのかも知れません。
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 2015_01_25


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