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東京帝国大学時代 その二


二 東京帝国大学時代(明治三十七年~四十一年)
 一年時 その二

前回、一つの記事が長ったらしくなったのを反省して、
ちょっと、短めに区切って見る事にしました。

東京帝国大学に入学した乙字は、
上京後ほどなく河東碧梧桐の元を訪れて、早速門下生になりました。
上根岸の碧梧桐の家は、通称「海紅堂」と言うんですが、
ここの庭には、当時木瓜の木が何本もあって、
それで「海紅堂」と呼ばれてたんだとか。
海紅は海棠とも言って、木瓜の異名なんだそうで。
読みは「カイコウ」。
後年碧梧桐が中塚一碧楼を編集に据えて発行した「海紅」も、
この碧梧桐宅の名前からきてます。
余談ですが。
碧梧桐門下になった乙字は精力的に様々な俳句会に顔を出します。
同年九月十九日に行われた「ホトトギス」の子規忌日、
東京俳句会、一高俳句会などなど。
この秋から、日本新聞の「日本俳壇」碧梧桐選には
毎日のように乙字の句が載るようになり、
碧梧桐とその弟子の小沢碧童の二人で行っていた俳三昧にも
そのうち参加が許されるようになります。
まあ、これは翌三十八年のことになりますが。
それじゃ
俳三昧とは何でしょう。
意味は多分、分かりすぎるぐらい分かるとは思いますが。
碧梧桐によれば、
一題について各人十句ほど作って、その出来を略評する、というのを繰り返す俳句鍛錬なんだそうです。
午前中三題、午後三題、晩御飯の後四題。一日に合計十題百句。
これを数日行ったらしいです。
三十八年の秋には、兵役で居なかった喜谷六花が帰ってきたので、
四人でこの俳三昧を行ったみたい。
会者四人四夜の四吟に火を埋む 碧梧桐
という句はその様子を詠んだ句らしいです。

話を明治三十七年に戻して。
東京俳句会では、内藤鳴雪などと顔を合わせたみたいで、
この年の暮に帰省して、百文会のメンバーと会した折に
鳴雪の披講のやり方等をモノマネしてみせたりしてたとか。

そんな感じで、続く。です。
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 2014_09_03


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