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妻千代について  明治四十五年



六 妻千代について
 明治四十五年


明治四十五年、
この年は八月から大正と改元されました。
その八月に、大須賀乙字の父筠軒が亡くなります。
前年の十一月に、友人への手紙で
「仙台の老父も不加減で、いつ帰省の必要があるかも分からない」
とか書き送っているので、
その頃から父の具合が悪かったみたい。

さて、河内静魚著の「わが心の俳人伝」に、
こんな文章が載っていて驚きます。
妻千代はこの年双子を死産する。この死産が原因で病が一層重くなる。乙字はこの双子を葬った芝二本榎の黄梅院にしばしば足を向けている。情に厚く涙もろい人だった
この年というのは、父の死去した明治四十五年(大正元年)のこと。
この、千代が双子を死産という話ですが、
他のどこにも出てこないんですよね。
村山古郷の「大須賀乙字伝」にもないし、
「乙字書簡集」にも、それらしい事が書かれた手紙はない。
わりと最近になって判明したことなんでしょうか。
とりあえず「乙字書簡集」で分かるのは
大正三年になって、乙字が
二本榎黄梅院と申すに双児ありしを葬り候児の墓を訪ふ
という前書で
 児の墓にいつまでもゐよ時雨
という句を臼田亜浪宛の手紙に書き送っている、ということだけかなぁ。

そしてこの大正元年の冬、
千代は肺患をわずらってしまいます。
前述の死産に加え、長男精一の育児、夫乙字の来客や句会の世話、
仙台での義父の看病と葬儀、
その後の乙字の家督相続のあれこれで、
肉体的にも精神的にも負担が大きかったのかもしれません。
十二月二十七日、宮城の安斎桜磈子に宛てて
小生無異、但し荊妻右肺をいため痰に交りて吐血、俄の臥蓐にて看護婦をつけきりの有樣、豚兒乳を戀ひて夜半小生の懷をさぐり號泣不止ほとゝゝ閉口致候仙臺の愚弟も長きこと臥蓐、よくよく本年は小生に取りて凶歳に候
と、
乙字はこういう手紙を出してます。

病む妻と乳児を抱えて教員の仕事をするには無理があったようで、
結局、乙字は妻と子を一旦湊へ返して療養させることにしたようです。
千代と精一を湊へやったのが何月の話なのか、
その辺りはちょっと分からないんですが、
大正二年の四月には、小康を得た千代が帰京してます。
その数ヶ月の間のどこかで、
乙字が三越で布製の動物絵本を買って、精一に送ってるんですが、
それについて書いてある手紙が、
残念ながら大正二年某月某日となってるんで、
はっきりいつのことか分かりません。
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 2015_01_06


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