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東京帝国大学時代 その一


二 東京帝国大学時代(明治三十七年~四十一年)
 一年時 その一

前回、書き忘れたんですが、正岡子規について。
子規が没したのが明治三十五年なので、
乙字が積極的に日本新聞に投句する頃には、もう子規はいませんでした。
「ホトトギス」に投句したことがある、という時代については、
それが何年ごろの話なのかが不明なのでなんともいえませんが、
多分病状が悪化してからのことなんじゃないかなぁ
と、思います。
というわけで、乙字と子規には直接の関係はありません。

春月や幕取り残す山遊び 乙字
踊子の負はれて戻る朧月 乙字
春風や羽織をたゝむ草の上 乙字
青嵐蚕棚を払ふ天気かな 乙字


これらの句は、明治三十七年の句。
三十七年は東京帝大に入学した年なんだけど、
当時は七月卒業九月入学だったんで、
春の句はまだ仙台時代の句に当たるわけです。

俳諧に健やかなれや時鳥 乙字
この句は奥羽百文会への留別の句。
爽やかな上から目線が若々しくて好きです。
「乙字句集」にある、
乙字の仙台時代の後輩広田寒山による「序」によれば

 明治三十七年の夏居士は第二高等学校の独逸文科を卒業した、その夏居士はいろいろ熟慮して大学では国文学を専攻することに決心した。父翁は居士の俳句には初め余り同情を寄せなかつた様に聞いて居る、そういふことの外尚居士には科を転ずるといふ事には種々煩悶があつたことと思はれる。其秋の九月淋しい雨の降つた一夜と覚えて居る、居士はいよいよ東京の文科大学へ入学の為め上京の途に就いた、令弟の炳さんがいろいろ荷物の世話をした、居士は自分の荷物は僅かばかりの俳書だけだと云つて淋しく笑つて居た、私達の一団も見送つたりした

という感じだったみたい。
実際に乙字側にも色々と思うところもあったんだとは思うけど、
この文章からは、やっぱり、
残される側の淋しさが感じられますね。
当時後輩からはかなり慕われていたらしいです。

それにしても、
母うめが乙字が俳句をするのを嫌がったというのは分かるんです。
自分が詩人の嫁になって非常に苦労したらしいですから。
ほら、例の「詩人だからー」なフラフラ期に。
しかし、
当の「詩人だからー」な父いん軒までが、
乙字の俳句に理解を示さなかったっていうのは…。
「お母さんにあまり心配をかけるな」
的な意味なのか、
もっと違う考えからなのか。

さて、上京してすぐのある夜、突然金田一京助の下宿に乙字が訪れます。
前回も書きましたが、金田一秀穂氏のじっちゃんの方の金田一です。
特に親しくもなかったし何かと思ったら、
高校では独逸文科だったけど、大学では国文科に転向します、
同じ科になるからよろしくね
っていう挨拶だったみたいです。
が、
実は金田一はもともと国文科を志望してはいたけど、
やっぱり言語学科にしようと考えてる時だったので、
なんか締まらない感じになっちゃったみたいです。
ま、まあ同じ文科ではあるし、同郷の同級生だし
ということで、お互いによろしくってことになったという。
アンガールズのジャンガジャンガ的な雰囲気ですなぁ。
まあ
実際、これを期に友人になったのは確かなようです。
このあたりのエピソードは
「俳句研究」昭和十二年八月号「大須賀乙字の想ひ出」金田一京助
にありました。
この記事には、その後の話ですが
金田一の下宿で石川啄木と乙字の邂逅とか
折口信夫と乙字の論戦の話とか書いてあって
なんというか、やっぱりゴージャスな時代なんだなぁと
思ったものでした。

うーん
まとめようと思って書いてるのに、意外に間延びしてしまうなぁ。
ということで続きはまた。
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 2014_08_30


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