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五 新傾向の終焉  碧梧桐の帰京



五 新傾向の終焉(明治四十四年~
  碧梧桐の帰京

河東碧梧桐の全国俳句行脚が終わったのは、
明治四十四年七月十三日。
第一次と第二次をあわせると
これが実に1304日。
この旅の旅費は、
その多くが浄土真宗の東本願寺の二十三世、大谷句仏から出たみたい。
何で見かけたエピソードだったかなぁ。
旅の途中で、句仏からの送金が急に途絶えて、
あわてて岐阜の塩谷鵜平にお金を出してもらったことがあったとか。
まあ、たまたま句仏が忙しかったか何かで
送金できなかっただけだったとか…

新傾向俳句が勃興し、
碧梧桐の「日本俳句」が黄金期を迎え
混迷し、
そして低迷期に差し掛かってました。
いや、もう入ってたのか。
碧梧桐門下は分裂しかけてて、
「日本俳句」への投句も、最盛期の三分の一ぐらいになってたとか。

旅を終えて東京に帰って、
待ってるものが碧梧桐門下のごたごたかぁ
と、
実は碧梧桐自身ちょっとブルーだったらしいです。
七月八日に、塩谷鵜平に宛てた手紙に
「(略)荊妻の談によれば乙字碧童対井泉不喚の衝突は案外猛烈──尤も井泉不喚の方にてはヨラズサワラズなるべきも乙字派はプンプン怒つてをる由、小生之を主人の留守中に起つた姑小姑と嫁下女などの衝突─飛んだお家騒動と笑ふ ソンナ事もあれば東京同人の出迎は中止を要求せり(略)」
と書いてるとか。
これは栗田靖「碧梧桐百句」(翰林書房)に載ってた話。

碧梧桐の帰京歓迎俳句大会が行われたのは、
九月三日。
一ヶ月半ほど間が空いてるのが不思議ですが、
何か理由があったんでしょうね。
この会の出席者は五十四名。「層雲」主催というものだったらしいです。
「層雲」八月号に、この帰京歓迎俳句大会の予告が出されて、
幹事は「層雲」の荻原井泉水の他、
碧梧桐の格さん助さん的存在の小沢碧童、喜谷六花、
碧梧桐門古参の伊藤観魚、
そのほか、細谷不句、宇佐美不喚楼、松本金鶏城といった在京俳人と、
広田寒山。
寒山以外は、第二次全国行脚の見送りメンバーでもありますね。
ここに「大須賀乙字」の名前はありません。
俳句大会そのものにも、乙字は不参加だったようです。

また、同じ九月に、子規十周忌を、
帰京したばかりの碧梧桐が主催してるんですが、
こちらも乙字は欠席だったみたい。

碧梧桐や「層雲」との関係性もあったとは思うんですが、
もう一つ。
この九月、大須賀乙字のプライベートが
忙しかったということもあるかも知れません。

七月から、妻千代が出産のために里帰りしてたんですが、
九月が出産予定の月。
このころの乙字の手紙を見ても、
その話ばっかりです。
つまり、茨城に里帰りしてる千代への手紙ばっかり。
九月十六日に、待望の長男精一が生まれて、
仕事のやりくりをして、やっと赤ん坊に対面できたのが、九月末。

ちなみに、明治四十四年の乙字の家庭環境は、
三月に妊娠中の千代が病気になり、
六月に弟の敏の結婚、
九月に長男誕生
十一月に、その敏の発病、
十二月に末の弟の炳の結婚
と、割と慌ただしかったようです。
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 2014_12_23


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