スポンサーサイト

Category: スポンサー広告  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 --_--_--


新傾向批判  碧梧桐との意見の相違



四 新傾向批判(明治四十二年~
 碧梧桐との意見の相違


河東碧梧桐の新傾向俳句についての批判が、
「ホトトギス」の坂本四方太らからあった、
と前回書きましたが、
もちろん異議を唱えていたのは、他にも多くいます。
だだっと書きますが、
秋声会、筑波会、松根東洋城の国民俳壇、
佐藤紅緑の「とくさ」、松瀬青々の「宝船」、
石井露月の「俳星」などなど。
しかも、「無中心論」なんて発表しちゃうわけですから、
より一層俳壇の中で、反新傾向の声が大きくなるわけです。
まず、
松瀬青々が、「無中心論」が掲載された朝日新聞に反論を出します。
そこから、青々と碧梧桐はどんどん感情的に走っちゃって、
お互いの句とか選についての悪口の応酬みたいになったらしいです。
この論争は、朝日新聞から、「宝船」誌上に場所を移して続けられたとか。
他にも、京都の俳人中川四明や、
歌人の伊藤左千夫も、この論について難じてますが、
小説家の田山花袋は、この「無中心論」に賛成の意を表したとか。
まあ、
もともと新傾向俳句そのものが、
田山らの自然主義文学に影響を受けてるわけですから、
ここで反対に回られたら切ないですよね。

さて、
師である碧梧桐の「無中心論」について、
東京にいる門下の人々の反応はどうだったかというと、
やっぱり結構な動揺があった模様。
宇佐美不喚楼が、大須賀乙字追悼の文にこんな事を書いてます。
碧梧桐君が全國行脚に出て山陽邊で、大分一碧楼兄弟に熱中してゐた頃は『可かん、碧梧桐を呼返して救つてやらなけりや可かん』といふことに衆説が一致してゐたやうである。その音頭取りは無論乙字君であつた
まあ、他人事の様に書いてますが、
当の不喚楼が、碧梧桐のところに飛んでいってるんですね。
明治四十四年、宝塚温泉で正月を迎えていた碧梧桐のところに行って、
碧門(碧梧桐門)俳人たちに動揺と背信の気配があるから、
旅を中断して東京に戻って欲しい
と。
ところが碧梧桐はこれを拒否。
「続一日一信」でこのことを取り上げて、
「文芸上の主張が相容れないようならば、離反やむなし。
もし東京の同人で、自分と主張が違うものがあれば、
堂々と旗幟を翻すべきである」
と言い切り、
「今日の俳句の変化が訴えるものに気付かない東京同人があれば、
それは時代に取り残されたものであって、思想上の老人である、
ならば余計に、帰京を早めて会いに行く必要もない」
と切り捨てるわけです。

ちなみに、不喚楼の言う「背信の気配」について。
これは乙字ら在京の門下俳人のことだけじゃなくて、
例の玉島俳人たちのことも指しているみたい。
碧梧桐の選を嫌った彼らが、自分たちだけで同人誌を出すらしい
という噂が、東京まで聞こえていたとか。


スポンサーサイト

 2014_12_02


Comments


 管理者にだけ表示を許可する


07  « 2017_08 »  09

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

Sima

Author:Sima
わたしが超個人的におすすめする児童文学100選
是非コメントください。
よろしくお願いします。

カテゴリ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

ランキング




PAGE
TOP.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。