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新傾向批判  「無中心論」



四 新傾向批判(明治四十二年~
 「無中心論」

さて、
相変らず大須賀乙字の歴史を辿るつもりが、
河東碧梧桐につきっきりになっております。
乙字を考える上で、
どうしても碧梧桐と新傾向俳句の流れは欠かせないので、
もうちょっと続きます。

碧梧桐が、玉島俳三昧の後、
「ただ一つ光明をしるすもの」と言ったもの、
それは、「無中心論」だったんじゃないか、と
わたしは考えます。

この玉島の俳三昧に先立つ、四国でのこと。
「日本俳句」の選をしていた碧梧桐は、
雨の花野来しが母屋に長居せり 響也
の句に興味を惹かれます。
で、
安芸竹島へ、自分の俳誌について意見を伺いにやってきた荻原井泉水に、
この句について意見を聞き、
まあ、その意見の内容は置いておいて、
とにかくそこからインスピレーションが湧いたんだそうです。
この中塚響也の句についての意見交換云々については、
のちに井泉水が、いやそんなことは聞かれてないとか言ったとか
何かそんなこともありますが、
どっちにしろ、碧梧桐にピコン!と来るものがあったわけです。
じゃあ結局
井泉水がこれに無関係かというと、そんなことはなくて、
先頃「時事新報」に井泉水が、
「形式より見たる新傾向の句」と題する論文で、
一句の中に二個の中心点があるのは面白い
と、書いていて、
これと先に書いた響也の句とからのピコン!なのです。

雨の降る中花野へ来て、
母屋へ寄り、
そこで何かの理由で長居をした、
という句ですが、
まるで無声映画の様な、
時間的空間的な一連の流れが
「中心が無い」という発見になったみたい。

で、
「無中心論」ってどんなものかというと、
従来の句は感じを一点に纏める中心点があって、
でも、その中心点を作る為に自然を偽ってるわけで、
そこに不自然が生じる。
「雨の花野」の句にはその不自然がない、
一日の出来事のある部分を抜き出した事実そのものなんだ、と。
ゴーリキーの小説「どん底」を挙げて、
主人公が一人、それを軸にして起承転結という従来の形
ではない新しさがある、として、
これと俳句の「無中心」は類似してる、
という感じの主張みたいです。

相変らず長くなっちゃって申し訳ないけど、
あと少し。
これは碧梧桐をしょんぼりさせた理由。
玉島俳三昧での自分を含めたみんなの俳句の出来、
ということもあるかと思いますが、
もう一つ、
これはたしかにショックだわという出来事が、
玉島俳三昧の後で起こっていたのでした。

この俳三昧の後、
碧梧桐としては大会を開いて締めようと思ってたらしいんですが、
これが
中塚一碧楼、響也をはじめとする玉島の若い俳人達が
突然反旗を翻し一抜けたして、
結局会が流れてしまったという。

玉島の前の俳三昧、城ノ崎俳三昧の事を書いた記事で、
一碧楼の句を「日本俳句」に六句載せた
というのを覚えてらっしゃるでしょうか。
これについて、
碧梧桐の添削が入っていた事が大いに気に入らなかったんだとか。
権威主義への反発ってやつでしょうか。
これから、「無中心」の方向性を得てやるぞー!ってな時に
当の若者たちからのこの仕打ち。
それはそれは内心ショックだったことと思われます。


まあ、正直ここの流れについて、
玉島俳三昧の開催時期だけはハッキリしてますが、
「無中心論」の発表、
「時事新報」の井泉水の記事、
碧梧桐の玉島俳三昧の感想、大会の流会
この辺の正確な日付をまだチェックしてないので、
わたしの想像はちょっと違うかもしれません。
まあ、この時期そんなことがあったと、
そんな感じでお願いします。
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 2014_11_25


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