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新傾向批判  母の死


四 新傾向批判(明治四十二年~
 母の死

明治四十二年の十一月から、
大須賀乙字は、それまで勤めていた曹洞宗中学林の他に、
同系の曹洞宗大学の講師を兼職しています。
この曹洞宗大学ってのは、現在の駒沢大学だそうです。

で、
他にも、
週二時間ほど東洋音楽学校でも講義を行ってます。
何故この時期、乙字はこんなに働いていたのか。
それは、
収入を上げて、結婚して、
故郷仙台で病気をしている母を
東京に迎えようと思ったから。

でも、
その十一月の末に、
母がもう今年もたないという連絡があり、
翌十二月の一日には危篤の報を受けて、
あわてて仙台へ帰ったんですが、
臨終には間に合わなかったらしいです。
十二月一日、大須賀うめ 享年五十四歳。

結婚問題など勿論急ぐ必要なくなり候暫く自由の身となり悲しき人生と寂しき自然を味ふべく休暇を山川に放浪する考に候寂しければ心賑かに候絶望は或は同時に希望なるべく候。詩人とならむ覺悟に候

三井甲之に手紙を書いたのが十一月二十九日。
もう母はだめなんだという諦観が切ない手紙です。

「悲しき人生と寂しき自然」
「詩人とならむ覚悟」
この辺りが、その後の乙字の俳句の境涯の元になるような
そんな感じがします。

のちに、
中有の旅にまゐらする足袋と思ひきや 乙字
という句を詠んでます。
この句には、
帰省すれば母既に他界し給ふ土産さながら徒らなりき
という前書が付いてます。
中有というのは、「ちゅうう」と読んで、
人が亡くなってから、次の世に生まれるまでの間のことなんだとか。

多分母はもうダメだろうとはわかっていて、
東京で買ってきた足袋を、
亡骸に履かせて死出の旅に行かせた。
そういう足袋になってしまった。
という句でしょうか。

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 2014_11_09


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