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レーモン・クノー「地下鉄のザジ」
中公文庫

フランスの小説です。
っていうかルイ・マル監督の同名の映画の原作といった方が分り易いかな。
いや、そうでもないか。

田舎から出てきた少女ザジは、
パリの地下鉄に乗る事を一番の楽しみにしていたのですが、
あいにくの地下鉄ストのため、それを果す事が出来ません。
ふてくされたザジはパリ中を駆けずり回り、
おかしくも厄介な事件を引き起こし周囲の大人達を振り回します。

主人公のザジの性格や行動だけがとっぴなわけじゃないのも楽しいですね。
変な人オンパレード。
ああ~やっぱりおフランスは変な国かもしれない、
しかもそれが容認される国なんだ……
と思わせてくれるんですよ。

「ザジ」って名前がめっちゃ印象的だよね。
フランスの女性の名前ってよくわかんないんだけど、
マドレーヌとかセリーヌとかってイカニモな名前では
絶対このくそ生意気で口の悪い女の子の味は出なかっただろうと思います。




上記の文章も、読書感想じゃなくて、レーモン・クノーのおすすめ本の紹介文でした。
っていっても、これを書いたときは、
この作品とあと一冊ぐらいしか読んでなかったような気もしますが。
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 2015_09_30




ジョゼ・サラマーゴ「あらゆる名前」
彩流社

うーん、不思議な雰囲気の作品でした。
戸籍管理局の補佐官を長年務めているジョゼ氏は、
一風変ったコレクター。
有名人の記事や写真を集めてるのでした。
それが高じて戸籍管理局にある
彼等の出生などの証明書の写しが欲しくなったジョゼ氏は、
深夜こっそり局に忍び込みます。
そこで、ジョゼ氏は目的のモノのほかに
うっかり無名の女性の帳票を持ち返ってしまった事から、
その「無名の女性」の探索にのめり込んでしまうのでした。

相変わらず「」がなくて、「。」が少ない独特の文章。
でも読んでて、そこが読みづらくて読みづらくてって感じではないですね。
自問自答を繰り返す……と言うよりも
天井に向ってもう一人の自分と対話したり、
なされない会話を妄想したりするジョゼ氏にすごく合うんだもん。
小心なくせに、ギョッとするほど大胆な行動を起す彼の偏狂的な日々を、
まるで夢の中の出来事みたいに、
あるときはめくるめくように、
ある時は進んでも進んでも前に進めない水中での歩行の様にと、
不思議にファンタジックに読ませてくれます。
(2001年8月26日)


ジョゼ・サラマーゴ「見知らぬ島への扉」
アーティストハウス

うう~ん、小品ながら読みでのある作品でした。

 男が城の扉をたたきながら叫んでいます。船を一艘ください。

未だ知らない島を探しにいきたいと王様に船を要求する男と、
男の姿に心を動かされて彼についていく決断をする掃除女。

ホント、
びっくりするほど薄い上に活字が大きくて、
実のところこんなに読みでがあるとは想像もしてませんでした。

ちょっと嫌だったのは、
台詞部分の活字だけが太字で大きくなってる所。
あたかも登場人物たちが大声で叫んでる様に思えちゃうんですよね。
「」がついてないから分かりづらいだろうっていう
出版サイドの配慮なんでしょうか。
あれはヤでしたね。
(2001年12月3日)

 2015_09_29




ジョゼ・サラマーゴ「白の闇」
NHK出版

わ~~、これはめちゃめちゃ面白かったです。

ある日突然一人の男の目の前が真っ白になり、失明する。
失明するっていうのも変といえば変ですよね。
真っ暗になるんじゃなくて真っ白な光しか見えなくなるんだから。
で、
この不思議な失明はその男から始まって
瞬く間に人々に伝染して行きます。
恐慌状態の政府は失明した人間と、
彼らが接触した「感染したかもしれない」人達を
かつての精神病院へ閉じ込め隔離します。
この簡易隔離施設に押し込められた人々の数はどんどん膨れ上がり、
やがて秩序も人間性も崩壊していき……。

すごい話ですよね。
怖いっていうよりも、
この先どうなるんだろうってドキドキしながら読みました。
会話部分に「」がついてないんですが、
これが不思議な事に読み終わるまで気がつかなかったんですよね。
それだけ不自然さがないって事でしょうか。

失明していないのに、夫についていたくて
一緒に隔離された「医者の妻」(固有名詞は出てきません)のカッコ良さ、
奔放な性を謳歌してる途中で失明した「サングラスの娘」など、
女たちが際立ってましたね。
うん、ホントに面白かった作品でした。
(2001年7月6日)

 2015_09_28




W・サローヤン「パパ・ユーア クレイジー」
新潮文庫

マリブの海辺にある父の家で、僕と父との新しい生活が始まった。
父は僕に、僕自身について小説を書くようにいった。
僕は海を、月を、太陽を、船を知ってはいるけれど、
僕自身や世界をほんとうに理解するにはどうすればいいんだろう―
(裏表紙解説より)

へへっ。ちょっとズルしました。
10歳の少年と作家の父との会話がメインの、
短いセンテンスで綴られる爽やかで、
ちょっと物憂い感じの物語です。
この作品の訳は少し変ってて、
なんだか直訳に近いような雰囲気がするんですよね。
「僕の父と僕は、僕の母と僕の妹にさよならを言った。
僕らは歩いて丘を下りた。僕の父の家までヒッチハイクをするためだ。」
とか、
呼びかけの時には「父さん」っていうけど、
「あなたは…」って息子が父親に向って言ったり。
でも、それがまた不思議な味を醸し出してるんですよね。
幼いながらもれっきとした一人の人間として扱ってるって感じで。


上記の文章は、
以前から時々登場している、
感想文じゃなくて、お気に入りの一冊の紹介文です。
サローヤンは2001年から2005年の爆発的に本を読んでた時期よりも
以前から好きだった作家の一人で、
「ママ、アイラブユー」も大好き。
これは少女とそのママの物語。
あと、「わが名はアラム」とか「心は高原に」とかもいいですね。
「心は高原に」の中の
「お若いの、心を高原においてきたこの年寄りに、水をいっぱい、いただけんかな」
っていうのが好き。
たしか、この作品を選んだ理由は、
やっぱりサローヤン作品なら少女より少年だろう
みたいな感じからだったように思います。

 2015_09_27




ジーン・アウル「ケーブ・ベアの一族」
ホーム社(集英社) 大久保寛訳

「エイラ 地上の旅人」シリーズの1~2巻目。

およそ三万年から三万五千年前の時代。
旧人ネアンデルタール人の間で育つ新人クロマニヨン人の少女の
成長の壮大な物語の第一部です。

突然の大地震によって、突然家族を失ってしまった5歳の少女エイラ。
あまりに幼いエイラですが、
ケーブ・ライオンに襲われた時も、
太ももに傷を作っただけでからくも生き延び、
やがてある一族に拾われます。
それはやはり地震によって彼らの住む洞穴を失い、
新たなすみかを求めているネアンデルタール人のケーブ・ベアの一族でした。

一族の薬師で、
地震でつれあいを失ったものの、赤ん坊を身籠っているイーザは、
傷を負い衰弱しきったエイラを助けます。
彼らとエイラの姿は違いすぎ、
ネアンデルタール人から見ると、
白い肌に金髪碧眼、顎も突起していないのっぺりしたエイラは
醜い「よそ者」でした。
けれど、ケーブ・ベアの一族になんとか受け入れられ、
一族の中でエイラは育てられることになります。
それは、エイラを助けたイーザが
一族でも女としては一目置かれる薬師であったこと、
イーザの兄であり、一族に君臨するまじない師のクレブと、
やはりイーザの兄で一族の長であるブルンが、
半ば半信半疑ながらもエイラを受け入れることにしたからでした。

彼ら独特のほんの少しの言葉と手振りや表情で思いを伝える術や、
一族のしきたりなどを次第に学んで行き、
少しずつ一族の人々にも受け入れられるエイラでしたが、
その一方でよそ者で目立つエイラを憎む人物も現われます。
生まれながらの一族の人間でもないし、
同じ人間とはいえ同種族とも言えないエイラは、
どんなに彼らに同化しようとしても、
内側からあふれ出すように違いが明らかになっていくのです。

本書は、以前「始原への旅だち」シリーズとして
評論社から出版されていたものを、
新たに完訳版として出版されたものです。
「ケーブ・ベアの一族」上下巻は、
旧訳版では「大地の子エイラ」上中下巻にあたります。

意外だと思ったのは、
その旧訳版が大人向けでも完訳でもなかったということ。
けっこう色んな意味でハードな描写が多いので、
てっきり前のものも一般向けに出版されたものだと思い込んでいたんです。
ちょっと読み比べてみましたので、
興味のある方は下の方もごらんください。

さて、この物語はとにかくスケールが壮大で、
一度読んだことがあるとは言え、
やっぱり読んでいて胸がどきどきしますね。
本書はまだエイラが幼いので、
あまりそれと感じさせるシーンも少ないのだけど、
滅び行く旧人たちとこれから繁栄していくはずの新人
という対比がなんとも胸に迫るんですよ。
エイラの容姿、考え方だけじゃなく、
肉体や脳のつくりが基本的に違うんだ!と感じさせるところや、
逆に滅び行く種族の哀愁もちらり。
そうそう、
エイラがケープ・ベアの一族の者たちの仕草や表情に、
「言葉」としての意味があることに気がつき
それを吸収していくくだりはやっぱり胸を打たれます。
新たなものを吸収して自分のものにしていく力、ですかねぇ。

でも、基本的にはネアンデルタール人もクロマニヨン人も
同じように考えるし感じる、同じ人間として描かれているので、
濃い人間ドラマとしてもきっちりと楽しめます。
特にエイラとイーザやクレブの愛情とか、
族長の息子ブラウドとの確執などはとにかく読ませます。
あと、単純に凄いと思えるのが、道具作りの詳細なところ。
ホント恐ろしく詳細なので、
ちょっと作ってみたいかも…
出来るんじゃないか…なんて思わせるほどです。

少しだけ、気になったのはクロマニヨン人が
現代の欧米人とほとんど違わないように描かれてるところ。
クロマニヨン人がどんな姿をしてたのかわからないけども、
つるつるすべすべの青白い肌に金髪碧眼、すらりとした大柄な体格と、
まるで現代からタイムスリップしてきた
という設定でもおかしくないというのは、
なんとなく違和感を覚えます。
この疑問、実は旧訳のときはほとんど感じなかったんですよね。
何故だろう、と思ったんですが、
どうも宇野亜喜良さんのイラストの影響かなぁって思えます。
旧訳版は画像としてのエイラがないですし。

□旧訳と新訳の差□

ストーリーの中盤のエピソードに触れる部分があるので、
未読の方は読まない方がいいかも。

○比べてみて、まず感じるのが旧訳の文章がかたいということ。

旧 「獣皮を張った差しかけ小屋を後に、裸の女の子は、岩のごろごろしている川原に走り出た」
新 「獣の皮でおおわれた小屋から出た裸の少女は、小さな川の曲がったところにある石や岩ばかりの川原を目指して走った」

旧 「胃のあたりが落ちつかず、不安に胸をしこらせながらも何とか立とうと努力したが、大地がぐらぐら揺れているので釣合いを失って倒れた」
新 「恐怖が心をかすめ、胃がむかつき、締めつけられた。立ったままでいようとしたが、吐き気を覚えるような揺れに体のバランスを失い、後ろに倒れてしまった」

旧 「エイラの方はもう有頂天だった。彼女はそれまでこの見知らぬ人々の間で孤立した、心もとない気持を味わっていた」
新 「エイラは、喜びで有頂天になっていた。それまで、この見知らぬ人たちの間で途方にくれ、孤独感を抱いていたのだ」

当然同じことが書いてあるのだけど、
微妙に旧訳の方が硬い気がしませんか?
だけど旧訳の方は児童向けとして訳されていて、
新訳は全世代向けの完訳という話で、なんだか不思議な感じ。

段落の付け方はほぼ一緒。
言葉の使い方そのもの以外にも、時折微妙な違いがあるみたい。
微妙な言葉の硬さやちょっとくどくどしい日本語の使い方が、
旧訳の方が雰囲気がキツイイメージをあたえるのではないかなぁ。
ちらっと読み返してみたけども、
やっぱり新訳の方が子供にも楽しく読めそうな雰囲気です。

じゃ、旧訳版はいいとこなしか、というと、
そうでもなかったりします。
原始の時代のなんとなく厳しい雰囲気を味わいたいという方には、
こっちの方がいい、と思われるかも。
エイラが薬として使う植物のイラストが添えられているのも
旧訳版の親切なところでしょうね。

○エイラがブラウドに暴力的に性行為を強要されるシーン

ブラウドがエイラに暴力を振るうシーンはちゃんとあるのだけど、
新訳にある、性行為そのもののくだりはきれいに抜かしてあります。
「硬い一突きで、ブラウドは深く貫いた」
からしばらくのモロ行為の描写ですね。
ぼかしてあるのではなくて、丹念に削除してある感じかな。
あと股間、性器という言葉のくだりが抜け落ちているようです。

今回比べてみたのはエイラが子供の頃からの話なので、
こういう性行為の出てくるシーンは少なかったけど、
これからどんどん出てくるんだよね。
というか旧訳でも、うげげと思うぐらい出てきたはず。
その辺りはどうなってたんでしょうか?

 2015_09_26




ジーン・アウル「大陸をかけるエイラ」上中下
評論社

マムトイ族のライオン・キャンプを後にしたエイラとジョンダラーは
いよいよジョンダラーの故郷を目指します。
長く厳しい旅の途中で出会ったいくつかのキャンプの人々、
そして未知なる地域に暮らす氏族のカップルとも知り合い、
氷河を越えてとうとう二人は故郷の地へ……。
ってなところまでの第四部。

やたら詳しくエイラとジョンダラーの
セックスシーンを描写されるのには参っちゃったけど、
今回はすでに固く結ばれた二人に、恋の迷いが無くて
その辺りはホッとしましたね。
上巻ではちょっとだらけちゃったかと思ったけど
中巻、下巻と軸になるドラマがあるのでドキドキしながら読めました。
にしても
エイラのスーパーウーマンぶりはやっぱり健在、
ってゆーよりもさらに磨きがかかってすでに女神の域に達してますね。
原始版「おしん」で始まった大河ドラマが
今後どう展開するかが気になるんだけど、
うーん。図書館にはこの第四部までしかないんです。
第五部はもう出版されたんでしょうか?それともマダ?
(2001年10月3日)




残念、当時のわたし。
この評論社のシリーズでは第四部までしかないんです。
この後の展開を知るには、
あと数年後の集英社の完訳版を待たなければいけません。
ちなみに、
わたしはそこへ辿り着かないまま、
読書ブームが去ってしまいました。
また手を出してみて、
スーパーウーマンがどうなったか確かめてもいいかもね。

ちなみに、
スティーヴン・キングが「骨の袋」の中で、
このジーン・アウルのエイラシリーズを
「お得意の"穴住人の性生活"もの」って揶揄してますが、
まあ、確かに。
この評論社バージョンは、どちらかというと青少年向けの訳で、
集英社バージョンは完訳、というところに
「性生活」部分が少しぼかしてあるはずなんですが、
それでもこの評論社バージョンですら
「the 性生活」なのがなんとも。
ということで、
次回は、
「大地の子エイラ」(評論社)と
「ケーブ・ベアの一族」(集英社)を読み比べたものを
ここに転載します。

 2015_09_25




ジーン・アウル「狩りをするエイラ」上中下
評論社

ジーン・アウルの「始原への旅だち」シリーズ
第3部にあたる「狩りをするエイラ」は、
前作で運命的な出会いをしたジョンダラーと共に、
「よそ者」の世界へ足を踏み出すエイラが描かれてます。
二人が客として招かれたマムトイ族のライオン・キャンプ。
上巻はライオン・キャンプで
エイラとジョンダラーが
カルチャーショックをお互いに受けつつ馴染んでゆく過程を、
中巻では
そのライオン・キャンプの炉辺の娘として受け入れられたエイラと
キャンプの人々の交わりを、
下巻ではマムトイ族のあらゆるキャンプが
一同に会して行われる夏の集会でのエイラが描かれてます。

いや~、
ここまで行くと面白いことは面白いけど、
エイラって文明の母にあたるわけ?
となんだか引いてしまうぐらいのスーパーウーマン振りにびっくり。
もう一つ、
今回めっちゃ読むのがしんどかったのが、
全編に渉るエイラとジョンダラー、
そしてライオン・キャンプの中の
魅力的な黒い肌の青年ラネクの愛の三角関係。
いや~~、
ジョンダラーの嫉妬と苦悩ぶりが読んでてしんどかったですね。
うへぇって思っちゃって。
ただでさえヘビーなのに
この人たちネアンデルタール人とクロマニヨン人なんですよ。
(2001年9月24日)

 2015_09_24




えーと、まず、
前回の「大地の子エイラ」についての
重大なネタバレが、
今回の「恋をするエイラ」の感想の中に含まれていることを、
先にお知らせいたします。
そういうことは知りたくなかった!
という方は、
今回、次回、そのまた次回の感想の記事をすっとばしてください。
よろしくお願いします。

ちなみにこのジーン・アウルの「エイラシリーズ」ですが、
旧訳のシリーズで、四部までしか出ませんでした。
その後、集英社から新訳が「エイラ 地上の旅人」シリーズとして出版され、
こちらは無事最後まで出たらしいです。
実はわたしも、集英社版を読んで、
旧訳と比べてみたいと思っていたんですが、
なんだかんだで、最初の第一部を比較するだけになってしまいました。
非常に中途半端で心苦しいんですが、
次次次回ぐらいに、それもアップするつもりでいます。




ジーン・アウル「恋をするエイラ」上中下 
評論社

前作「大地の子エイラ」で氏族の村を追放され、
愛する我が子とも離れ離れになってしまったエイラ。
(と、いきなり前作のネタバレを始めるわたし)
今回は一人ぼっちで暮し始めるエイラと、
もう一人、
「よそ者」の男ジョンダラーが登場します。
と言っても
エイラの物語とは別の物語のように語られて行って、
二人の物語が一つになるのは実に中巻の最後。
ああ~、ひっぱるひっぱる。
ハッキリ言ってこの「恋をするエイラ」は
上下2巻で充分だったんじゃないかと思いますね。
特に上巻はだらだら長い印象を持ちました。

に、してもエイラシリーズは面白いね。
長い!冗漫だ!とか思いつつも途中で止められない。
(2001年9月20日)

 2015_09_23




昨日、
こどもの俳句の記事で、
「大人が真似できない、真似しちゃいけない」
と、書きましたが、
実はこどもの俳句のすごいやつは
大人がかなり真似しちゃってるらしいです。

有名なところでは

「小学生の俳句歳時記 ハイク・ワンダーランド」(2001)
にも掲載されている

天国はもう秋ですかお父さん(小五 塚原彩)

という俳句。
これ、わたしが初めて目にしたのは
「句集・ちいさな一茶たち」(1988)だったと思いますが、
この句が発表されて、
「天国はもう秋ですか」形式の俳句が巷にあふれたらしいです。
いいな、すてきだな
って思っても、こどもの俳句を真似しちゃいけません。
大人なんだから、大人の自分の視点で読もうよ。
「天国はもう秋ですか」
って、素直に空に向かって尋ねることができるのは、
天国の存在を信じてて、
かつ、ナチュラルにそこにも日本と同じ四季があると
思っている子供だけですよ。

ちなみに、上記の二冊のこどもの俳句を載せた本ですが、
「ちいさな一句たち」は今手元にないんですが、
「小学生の俳句歳時記」は蝸牛新社から出たもので、
一応金子兜太監修ということになってますが、
どうみても編んだのは「あらきみほ」という方っぽいです。
ちょいちょい、ちょっとイラッとする丸文字のフォントが使われてたり、
恥ずかしい顔文字がイラスト化されたものが散りばめられてて
しかも出版社名がみひらきのところに「かぎゅう新社」と
一部ひらがなでひらかれて表記されているところとか、
いろいろくそダサいところはありますが、
中に掲載されているこどもの俳句はどれもすてきです。

秋の項だと

わたしよりたかいすすきをおってとる(幼稚園 いよみどり)

なしの山くだものやさんのかがみにも(幼稚園 くまかわひとみ)

いなごとりだんだんねこになるわたし(小1 こやまみか)

がわたしのすきな俳句です。

 2015_09_23




てんじんのいかやきたこやきなつまつり(あい)

かぶとむしゼリーをすってくろくなる(しおん)

ぼうもっていちごのあいすぺろぺろぺろ(のどか)

さて、この俳句は何でしょう。
これは、わたしの在籍している俳句結社の、先月の結社誌に載った、
こどもの俳句です。
上から、小学一年、五歳、五歳の作品。
うーん、すてきですよね。かわいい、というかすてき。
大人が真似できない、真似しちゃいけないタイプの俳句です。

あいさんの俳句、
「いかやきたこやき」と、夏祭りの屋台のメニューを目に付くままに並べたような楽しい句ですが、
「いか」「たこ」っていう並びが、うーんこれは、
幼いながらも狙ってるなって感じです。
しかも、上五に「てんじん」(天神)を持ってきて、一句に品もそえている所がすごい。
あいさんは、おかあさんと、現在小学四年のおにいさんと、
結社の句会に出て俳句を作ってる人らしいです。
いつも、こどもならではの視線ではっとするような俳句を一つ出してくれてます。

五歳児さんたちの俳句は、
わたしの父が、とある幼稚園でずっと俳句の教室をやっていて、
そこで出た俳句を、毎月いくつかピックアップして本にのせているもの。
「かぶとむし」のしおんくんの句、
いいですよねー。
かぶとむしが、昆虫ゼリー(多分黒っぽいやつですね)を吸っているのを見て、
「ゼリーすって黒くなった!」
という発見をしたという句なんです。
見立てではなくて、多分しおんくんなりの発見の句だと思います。
いいなぁ、すてきな目です。
「いちごのあいす」ののどかさんの句、
これは、
やられた……
と思いました。
下五の「ぺろぺろぺろ」は、あきらかに
俳句の形式を意識してつけたフレーズだと思われますが、
すごいなと思ったのは、
上五の「ぼうもって」
「いちごのあいす」を詠むのに、
「ぼうもって」って詠みだせますか?
この大胆さ、子供にしか出来ないし、
大人が下手に真似したら大惨事を起すタイプのやつ。

さて、
特に五歳児さんたちの、
月1回の俳句教室で詠んだ俳句がもっと読んでみたくて、
父に頼んでみたら、
意外にあっさり、子ども達の全作品のファイルを貸してくれました。
これからしばらくこれを楽しむつもりですが、
いいな、たのしいなと思った作品を、
またここでご報告できたらと思ってます。

おたのしみにー。
 2015_09_22




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Sima

Author:Sima
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