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  八 亜浪「石楠」(大正三年~五年) 
  再婚
  
大正五年の十二月二十七日、
大須賀乙字は再婚します。
相手は東京高等師範学校の教授松井簡治の次女まつ子。
恩師芳賀矢一の奥さんの鋼子の紹介で、
見合いの席も芳賀邸で行われたのだとか。

この見合いの場に、乙字は精一を連れて行ったんだとか。
そのことを聞いた内藤鳴雪は、
それは大変珍しい例で実に世間への好模範である
と大賛成を表したというエピソードが残ってます。
内藤鳴雪は、乙字とは違う俳句を志向した当時の俳壇の重鎮ですが、
乙字再婚とか見合いに連れ子みたいな話を漏れ聞くぐらいには、
当時の俳壇が狭いか、鳴雪の見識が広かったかするんでしょうね。
翌年四月に、鳴雪の古稀の祝賀会があって、
これはけっこう大掛かりな会だったんですが、
乙字もそれに出席してます。
もっと以前、乙字がまだ学生だった頃などは、
句会の帰り道が一緒で、並んで歩いたりもしたらしいし。
なんだかんだで内藤鳴雪は乙字を気にしてくれてたんでしょうか。
山一角雪崩れて寒き谺哉 内藤鳴雪
これは乙字の訃報を聞いて詠まれた追悼句。

と、
話が脱線してしまいましたが、
結婚披露宴は上野の精養軒で盛大に行われました。
媒酌人には芳賀矢一がなる筈だったらしいんですが、
芳賀矢一が洋行中だったので、
代りに「常盤木」社主の川俣馨一が媒酌人となったとか。

明けて六年新春三日、
乙字はまつ子と共に京都に新婚旅行に出かけます。
京都では、名和三幹竹の下宿していた下珠数屋町にある旅館に泊り、
三幹竹の案内で句仏上人(大谷句仏)に会い、
粟津水棹と共に嵯峨に遊んだようです。
  枳殼邸拝観一句
 冬木中小鳥闘ふ日ざしかな
という句は、この新婚旅行の折の句と思われます。
ちなみに枳殼邸は、
真宗大谷派の本山東本願寺の別邸のこと。
周囲に枳殼(からたち)が植えてあったことから
こう呼ばれるようになったとか。
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 2015_03_31




ケン・キージー「カッコーの巣の上で」
冨山房

これは、もちろん同名の映画の原作です。

ある州立の精神病院を舞台に、
刑務所での重労働を嫌って
精神病を偽って入ってきた赤毛の男マクマーフィ。
マクマーフィがそこで見たもの、
それは
大声で笑う事も出来ない、無気力でうつろな患者たちと、
病院のじわじわと真綿で首をしめるような管理体制だった。
戸惑い、驚き、
そして、
患者達の人間性を取り戻すべく一人病院側(主に婦長)へ挑戦するのだが…。

と、書いたけど、
マクマーフィが実際、
患者達のことに親身になって考えて
そんな行動をとったのかどうかは、
本書ではきちんと書いてないんですよね。
というのも、
この本では一貫して
患者の一人である混血インディアンの
通称「酋長」の目を通して、彼の一人称で書かれてるから。
その分、酋長の見る幻や、
彼の過去にふっと話がとんだりして、
結構ファンタジックとも言えるような雰囲気になってます。
あ、
映画自体も見てない、という人だと、
これだけだと分かりにくい
っていうか、
間違った印象を与えるかも…。
この作品は、間違っても、
ファンタジーでも、それに順ずるものでもありません。
(2001年5月20日)




この作品の原題は
One Flew Over the Cuckoo's Nest
マザーグースの歌から取ったタイトルで、
このOneは、ガチョウのこと。
Cuckooはもちろん郭公。カッコーね。
カッコーの巣に降りたガチョウは、
マクマーフィだったのか、酋長だったのか。

ちなみに、
三原順の「はみだしっ子」という漫画に、
自閉症(らしき)少女が登場するんですが、
「はみだしっ子」の主人公の一人サーニンという少年が
彼女につけた名前がクークー。
もちろん、サーニンに、そういう意図は全くないわけだけど、
クークー(カッコー)が精神病患者への蔑称というのを
後に知ってなんとも言えないショックを受けました。
この「はみだしっ子」という漫画には
「そんなつもりじゃなかった」が恐ろしく散らばってますが、
これもキツイ「そんなつもりじゃなかった」なんだなぁ。
って、
全然違う作品の感想書いてたわ。

 2015_03_31




映画の話、ゲームの話をしたことがあるので、
今日は漫画の話をします。

と、言っても、
すでに100の質問で
お気に入りの漫画家ベスト5と好きな作品
というのを答えたので、
アレなんですが。
ちなみに、
そのときのベスト5は、

 三原順「SUNS」
 高橋葉介「夢幻紳士」
 伸たまき「パーム」シリーズ(オールスタープロジェクトまで)
 内田美奈子「赤々丸」
 あずまきよひこ「よつばと!」

だったんですが、
それについては変化ありません。

現行作品に限定すると、
これがかなり変化しますが。

今、連載誌を読むほど好きという作品はないんですが、
コミックスが発売されたら買うのは、

中村光「聖おにいさん」
 天界の人(?)たちがあまり出てこない日常回の方が好きです。
あずまきよひこ「よつばと!」
 しばらく出ないだろうなぁと思ってますが。
荒川弘「銀の匙 Silver Spoon」
 南九条あやめちゃん大好き。
羽海野チカ「3月のライオン」
 「はちみつとクローバー」のあの展開があるので、
なんとなく驚愕激鬱展開が待っているんじゃないかと物語が進むたびに恐怖してます。
渡辺航「弱虫ペダル」
 ちなみにアニメは一度も見てないけど、舞台版は見てます。
仲間りょう「磯野磯兵衛物語」
 もうママンがどんどん人間じゃなくなっていくので目が離せません。

くらいかな。
アマゾンで予約して買った「ダンジョン飯」(九井諒子)の1巻も
すごく楽しかったので、続刊をもう楽しみにしてます。

「文豪ストレイドッグス」(朝霧カフカ・春河35)も6巻までは買ったんだけど、
これは、(ここまで買っていうことでもない気がするけど)微妙にハマらないかも。
そうそう、最近「ハクメイとミコチ」(樫木祐人)1~3巻を買って楽しく読んだので、
これは次も買うつもり。

あと、ずっと追いかけてて、
新刊が出たら買いたいと思ってはいるんだけど、
めったに新刊が出ないこともあって、
持ってる本なのかわからなくなって買わなかったり、
二冊買ってしまったりという事故が起きやすいのが
青池保子「エロイカより愛をこめて」
今市子「百鬼夜行抄」
ですね。

まあ、そんな感じで。

 2015_03_30




フアン・ルルフォ「燃える平原」
書肆風の薔薇

うーん、
一篇一篇が極限までに贅肉を殺ぎ落としたストイックな作品でした。
その切れ味は鋭くて、
読む側にまっすぐ切り込んでくるような印象を受けました。

作者ルルフォは、メキシコ農地の出身で、
痩せた農地で厳しい少年時代を送り、
革命の混乱期にほとんどの身内を土地と共に焼き払われたということです。
その原体験からでしょうか、
作品はどれも厳しい現実の中で生きる貧しい者たちを、
リアルに描き出しています。
その視線には感傷の入る余地はありません。
あくまでもたんたんと男たち、女たちを描いている、
そんな感じがしました。

……なんて、
どう書いて見ても、
この作品の重みを表現することは難しいです。
ただ黙って作品の世界に沈むしかないって感じなのかな。

私が特に印象に残ったのは、
「犬の声は聞こえんか」。
山賊に身を落とし、
自分の名付け親までも殺してしまった息子が今死にかけている。
息子を背負って町へ向かう年老いた父親。
町へ辿りついたときには息子は父親の背中で息絶えています。

他にも、
表題作「燃える平原」や
「タルパ」「マカリオ」「追われる男」
「殺さねえでくれ」など、
うーんと唸ってしまう絶品ばかりでした。

ルルフォはこの短編集「燃える平原」の他、
「ペドロ・パラモ」の二冊しか作品を残していないそうです。
未亡人によれば、何度か新しい作品に取り組んだけれど、
その度に、
またも「ペドロ・パラモ」になってしまったと
原稿を破り捨てたという話です。
次は是非その「ペドロ・パラモ」を読みたいですね。
(2003年3月4日)




と、書きつつ、結局「ペドロ・パラモ」を読めずにいます。
買っただけで安心してしまうという。

 2015_03_30




  八 亜浪「石楠」(大正三年~五年)

 東京音楽学校 その3


東京音楽学校での、大須賀乙字について。
もうすこしだけ、書いてみたい、
というか、わたしの文章じゃなくて
ほとんど引用になってますけども。

音楽家の小松耕輔は、教員仲間だったようで、
乙字も小松耕輔も酒が好きだったことから、
残っているエピソードもその関係。

同じ母校の国語教授大須賀乙字(績)は、碧梧桐、虚子にならぶ子規門下の巨匠として、俳論に実作に縦横の活躍をした人だが、その酒はいかにも文人らしく、優しく上品だった。酔がまわるとよく元禄時代の小噺などを得意とした。
耕輔が、長年なじんだ短歌から離れて晩年は俳句を専門に詠んだことは、それは万古刀庵たらぬ俳人乙字の"酒ぶり"を身(み)につけたものといえるだろう。


という文章は、
あきた(通巻72巻)1968年(昭和43年)
人・その思想と生涯(28) ◆ 小松耕輔 (小松末松)
の中にあります。

俳句関係者との酒の付き合い方と、
全く違うイメージの「優しく上品」という言葉にびっくりしますが、
どうも、基本的には、乙字はそういう人だったみたい。

多分、それについて書くのはまだ先になるとは思いますが、
親友だった三井甲之の『親鸞研究』はしがきにある

同志大須賀乙字が虚子碧梧桐一派とは別の道を行くのを正しいと思っておったが、乙字が晩年文士連と交際して飲酒の機会の多かったことも早世の原因の一つとなったらしい。

の中の、「文士連と交際して飲酒の機会の多かったこと」というのは、
岩野泡鳴の主宰していた「十日会」のことを指してるんじゃないかと思うんですが、
ここでも乙字は、
なかなか紳士的な人だったみたい。

もう一人、音楽学校の邦楽調査掛調査嘱託として、
後に音楽評論家として活躍した兼常清佐という人が書いたものを紹介します。
兼常は「俳人オツジと575物語」という随筆を書き残してます。

 私は「俳句というものは、下らないものですなァ!」といったら、オツジはげらげら笑っていた。その笑った様子ではなかなかの好人物で、舎監をするような悪党とは思えなかった。そのあとでオツジは俳句の事をいろいろ説法したようであったが、ろくろく聞いていなかったから、何を言ったか今は覚えていない。ただ覚えている事は、机の引出しから沢山の絵葉書を出して見せた事である。その絵葉書はトワダ湖から流れてくるオイラセの谷の絵葉書であった。
 オツジはしきりにそれを絶景だと賞讃していた。「俳句なんか作る人にこんな雄大な景色がわかりますか?俳句を作るには、古池に蛙が一匹いればよくはないですか」と私が言ったらオツジはまたげらげらと笑った。オツジは俳人のくせに、存外好人物だったらしい

(『音楽と生活 兼常清佐随筆集』「俳人オツジと575物語」)。

お酒の飲み方だけでなく、俳句について語るにしても、
相手が俳人かそうでないかで随分雰囲気が違うところが面白いです。


 2015_03_29




レオ・ペルッツ「最後の審判の巨匠」
晶文社

1909年、ウィーン。
著名な宮廷俳優オイゲン・ビショーフの家で、
友人たちが楽器を持ち寄り、室内楽に興じていた。
その日の朝、
ビショーフが財産を預けていた銀行が倒産したニュースが
小さな新聞記事となった。
それでなくとも舞台監督ともめているというビショーフに
ショックの追い討ちをかけたくない友人たちが集まったのだ。
友人たちの強引な求めに応じ
次の舞台の新しい役の演技を披露することになったビショーフは、
役づくりのために庭の四阿(あずまや)に一旦さがった。
しかし、
銃声に驚いて駆けつけた一同が目にしたのは、
拳銃をにぎりしめ、床に倒れていたビショーフの姿だった。

物語はフォン・ヨッシュ男爵の手記という形で、
彼の一人称で話が進められます。
このヨッシュがまた好漢とは言い難い人物で……
困ったものです。

さて、
ビショーフの自殺について、
ヨッシュはとんでもない立場に立たされます。
ビショーフの妻ディナがヨッシュのかつての(?)想い人であったこと、
ヨッシュの性格というのが
友人の目から見てもあまり良いものではなかったことから、
ビショーフが自殺するようにヨッシュが仕向けた、
というのです。
激しくヨッシュを断罪するディナの弟に、
一人の男が口を出します。
「彼が犯人ではない」と。
それはヨッシュがその日初めて会った
ゾルグループというエンジニアの男で、
実はヨッシュ自身は「ディナに親しくする嫌な奴」と思ってた人物なんです。

自殺現場に一番乗りで、
瀕死のビショーフの最後の言葉を聞いたというゾルグループ。
「最後の審判」
という言葉は何を意味するのでしょうか?
「最後の審判」に纏わって繰り返される悲劇的な事故。
オイゲン・ビショーフを死に至らしめた犯人の真相とは?

ってな感じ。
いや~、とても面白かったです。
一見ミステリの様でいて、
あやしい幻想小説を読んでいるような味わい。

「重要な先駆」とバウチャーが賞揚し、
ボルヘスが惚れ込んだ「伝説の小説」、
というのも頷ける作品でした。
1923年に発表された作品ということなんですが、
全然古臭くない、
手あかがついてないと思えるのは
この作品全体に漂う独特の雰囲気からかな?
(2005年)

 2015_03_29



まだ、
父の家のプリンターのインク補充の二色目に取り掛かっていないわたしです。

なんかの間違いで、わたし以外の誰かが
ちゃちゃっとやっといてくれないかと思ったりするんですが、
多分、わたしが手をつけなかったら、
誰もやらないんだろうなぁ。
父とはいえ人んちのインクなのになあ。

ところで、その父のプレハブの物置の外階段がダメになったとかで、
プレハブそのものを立て直すことになったらしい。
で、物置に入れてあった書籍などが、一時的に父の家に運び込まれてるんですが、
それがなかなか面白い。
父の父と母の父、つまりわたしの祖父たちの集めた書籍などが主だったらしく、
古い俳句、短歌、書、画関係の雑多な本があるんだけど、
その中に、
大正十四年、祖父がまだ十代の頃に仲間内でつくったガリ版の同人誌が一冊。
この中におさめられた誰かの短歌が、
大正時代の田舎の少年が詠んだにしては、意外に面白いので、
ちょっと紹介したい。

何といふ淋しき夜いで星もなく
 岡の墓場に小さきともしび 菊水生

ランカンに腰を下してゆつたりと
 ハーモニカ吹く夏休みの夜 星夏生

夏の夕夜ガラシ鳴きて我れ一人
 淋しまぎれに口笛を吹く 星夏生

上手いか下手か
ということよりも
田舎で少年たちが集まって、
そんな本を作ってたって、なんか楽しくなるなぁ。

 2015_03_28




イスマイル・カダレ「誰がドルンチナを連れ戻したか」
白水社

中世アルバニア。
地方警備隊長のストレスは、夜明け前にある事件によって起された。
ヴラナイ家の未亡人と娘のドルンチナが危篤だという。
しかし、
これはただ二人の女が危篤状態にあるというだけの事件ではなかった。
ドルンチナはとても遠くに嫁いでいて、
婚礼の日から今まで一度も実家へ帰ってくることはなかった。
その彼女が突然家に帰ってきた。
彼女の言葉を信じるならば、
兄コンスタンチンに伴なわれて…。
しかしそのコンスタンチンは、三年前に死んでいるのだ。
ドルンチナの9人の兄はみな、
3年前に戦争でペストに罹った敵の隊と戦って死んだのだ。
彼女は余りにも遠くに嫁いでいたので、
兄たちの死について知らされることは無かったが。

アルバニア生れの作家カダレの、
私にとって三冊目の作品。
意外とさらっと読める平明な文章と、
む、暑い夏にぴったりの幽霊譚か?
というような導入に思わず引き込まれてしまいます。
このコンスタンチンとドルンチナの物語は
実際にアルバニアに伝わる伝説なのだとか。

まさか本当に亡霊に伴なわれて
遠路はるばるドルンチナが母親の元へ参るはずはない…
ということで、
その真相を探るべく、
部下と共に捜査を始めるストレス。
これには彼の警備隊長としてのプライドと、
個人的なドルンチナへの複雑な思い、
そしてキリスト以外の「甦り」を支持するわけには行かない
という教会の意志が絡み合って関係してます。
徹底的に真実を知りたいと意気込むストレスに対して、
大主教などは犯人をでっち上げてでもなんてことをほのめかしたりもして。

床についたままのドルンチナに話を聞いたり、
婚家から実家までの道ぞいに目撃者を探したり
という捜査が続きますが、
はかばかしい証拠や新事実は浮かんできません。
ところが、そこに一人の墓守の衝撃的な証言が舞い込みます。
コンスタンチンの墓で、
彼の母親が、
「お前は約束を反古にした。だからお前は土に還るではない」
という呪いの言葉を口にしていたのを聞いたというのです。
元々、ドルンチナが遠方に嫁いでいくことに対して、
母親は反対していた。
しかし兄のコンスタンチンが強くこの結婚を支持し、
母が娘に会いたくなったら、
自分がドルンチナを母の元にいつでも連れてくるから
と約束していたのだ。
しかしその約束は果されないまま
彼は他の兄弟と共に戦死してしまった。
彼は母との約束「誓い」を破ったので安らかに眠ることができないのだと。

そうこうするうちにドルンチナと母親が相次いで死んでしまい、
もはや彼女らに直接話を聞くことは叶わなくなってしまいます。
さて、ストレスは真相にいきつくことができるのでしょうか。

ここに登場する「誓い」というやつが、
実は「砕かれた四月」を即座に思い起こしてしまうようなもので、
おおっと思わず興奮してしまいました。
「誓い」の成り立ちが、
かの「掟」の成り立ちとシンクロするんですよね。
と、
思っていたら訳者あとがきにもちゃんと
「砕かれた四月」と「ドルンチナ」は表裏一体の関係にあると書かれてました。
(2005年8月10日)


 2015_03_28




工藤吉生さんの短歌集をいただいて、
その前半の歌をいくつかひいて感想を書いたのは
もう、けっこう前になってしまった。
で、
その残りをやります。
前回以上に、
自分勝手な感想になっちゃって、
なんか申し訳ない。


窓の外見てれば津田が「よしおさん青春してるね」と言い残し去る

おもわず、自分が言われたみたいにぞわっとした。
「津田」氏と「よしおさん」の関係はよく分からないけど、
唐突に背後からそんな声を掛けられたらいやだなぁ。
隣に立たれて言われたらもっといやだな。


うっかりと入っていくと晩飯がふるまわれそうな灯りの家だ
多分、
いままでもこれからも入ることのない家なんだと思うけど、
暖かくていかにも人好きしそうな色の
灯りのついた家なんだろうなと想像する。
旅人だったらそういう灯りの家があったら嬉しいだろうけど、
この歌の主人公は旅人じゃなくて、
振舞われたらちょっと困るんだろうなとか思う。
そう思うと、ちょっと斜にかまえた作者像が浮かんでくるんだけど、
灯りを見て「晩飯がふるまわれそう」と思えちゃうって、
もうこの作者の大前提が「善」なんだなぁと思ってほわっとする。

それにしても、変わったつくりだなって思う。
まあ、そんなに短歌を色々読んできたわけじゃないので、
本当はもっと色々あるんだろうけど。
「うっかりと入っていくと」の「いくと」から
「晩飯がふるまわれそうな」の「そうな」と続いて
どんどんフレーズが→で繋がってって、
その着地点が「灯り」なんだけど、
その「灯り」も終着点じゃなくて「の」でその続きがあって
最終的に「家だ」で終る。
つまり、「家」しか出てこない。
もうちょっと詳しく言っても「灯りの(ともった)家」。面白いな。


泣いているある時点から悲しみを維持しようとする力まざまざ
知ってると言ってあなたが話し出すエピソードのささやかな脚色


どちらも、誰しもが心当たりのあるところだと思う。
そして、
思ってもなかった痛いところを突かれたような気持で、
どきっとさせられた。


工事用機械の首は長くのびついにはオレを見つけてしまう

「オレ」が「工事用機械」の首が長くのびているのを
見つけてしまったんだろうけど、
それを逆に感じたという歌なんだと思う。
探されたい、見つけられたい気持の裏返しなんだろうか。
作者は、違うよ、全然違うって言うかもしれないけど、
見つけてもらう努力なんてあまりしてこなかったのに、
見つけてほしいと思っているわたしには、
この歌がそういう風に読めてしまう。
ちなみに、この歌の作者は、
そういう努力を惜しまない人なんだと思うので、
わたしと重ねるのは失礼なんだけど。


震災にヤマザキ春のパン祭り景品皿に傷ひとつなし

この歌はちょっとすごいな、と思った。
「ヤマザキ春のパン祭り景品」というのが「皿」を説明した言葉なので、
つまり内容的には、「震災に」「皿に傷ひとつなし」のみ。
これだけだと、なんと俳句より短い15音しかない。

そういえば、
日本三大祭のひとつ「ヤマザキ春のパン祭り」に参加して、
あの純白の皿をゲットしたことがない。
だから、この景品皿が、どういう手触りで、
どういう強度なのかは想像するしかない。
多分、この歌にあるように、無駄に丈夫なんだろうと思う。
とはいえ、
さすがに震災の被害のひどかった所では、
景品皿も無事ではすまなかっただろうし、
揺れはしたけど被害はさほどでなかった所では、
手にとって傷まで確かめてくれる人もいなかっただろう。
そして、この歌の主人公は、
皿を拾って傷ひとつないのを確認している。
どこかしらけた空気が漂う。


 2015_03_27




金曜企画、今月は「老人」だったんですが、
今回紹介するのは、
デビューが70歳過ぎという二人の老人の作家。




メアリー・ウェズレー「あやしげな遺産」
集英社

イギリスの田舎屋敷コットショーを舞台にした
悲喜こもごもの人間ドラマなんですが、
あらすじを紹介するより登場人物を紹介したほうが早いかも。

主人公ヘンリーはコットショーの主人。
父親の臨終の頼みを聞いてマーガレットと結婚。
以後、知る人ぞ知る妻の殉教者となるんだけれど、
実は結構したたか。
死んだ彼の父親がそうであったようにかなーりプレイボーイ。

マーガレットは、ヘンリーの妻で、絶世の美女。
第2次世界大戦中、
よくわかんない理由でカイロで窮地に陥っていたところを
ヘンリーとの結婚によりイギリスへ戻る事が出来た。
結婚後すぐにコットショー屋敷へ向い、
ヘンリーを殴ってベッドへ入ったっきり
そのままベッドを離れない。
わがままし放題、嘘つき放題、
やってくるお客と夫ヘンリーを翻弄し放題の変な女。
たまにベッドから出ると必ず屋敷に嵐を巻き起こすことになる。

ジョナサン&ジョナサンはおかまのカップル。
口が悪くて心やさしい、明るい性格のヘンリーの古馴染み。
ヘンリーの結婚に一枚噛んでいるらしい。
ちなみに二人とも「ジョナサン」という名前。

カリプソーは、
にきびだらけの少年ヘンリーが密かに恋心を抱いていた年上の美女。
ヘンリーの父親の友人で大金持ちのヘクターと
金目当ての(と本人も言っている)結婚をするが、
世にも幸せなカップルとなっている。
クールな大人の女。

バーバラとアントニアはヘンリーの友人の妻たち。
どちらもヘンリーの子どもを一人づつ産んでいる。

ゆったりとしたイギリスの田舎を舞台にして、
ちょっと悪意の見え隠れするけど、
飄々とした人をくったような物語でした。
巻末の解説にオースティンの名前が出て来るけど、
読む前に意識して比較したりすると面白さが半減するかも。
(と、いいつつわざとここで名前を出して見たりして)

このメアリー・ウェズレーという人は、
なんと70才にして作家としてデビュー、
以後年一回のペースで作品を書いている売れっ子作家らしいです。
すごいパワー。
(8月3日読了)

ハリエット・ドウア「イバーラの石」
集英社

なんと73才で小説家となった作者のデビュー作品。
うーん、このパワフルさは凄いの一言。
文章は感情を極力押さえてあるのに、
繊細な感じで、
結構好きな雰囲気でした。

前にもちらっと書いたことがあるけど、
メキシコ系アメリカ人作家、
通称チカノ作家というくくりがあるんですよね。
で、このドウアという人も、チカノという分類みたい。
この「イバーラの石」も
メキシコの小さな村イバーラを舞台にした作品なんですが、
メキシコへ移り住んできたアメリカ人夫婦の目を通して見た「メキシコ」なので、
前に読んだチカノ文学が
アメリカの中で連綿と祖の暮らしを守りつづけてるメキシコ系アメリカ人
という視点だったのとはちょうど逆みたいなの。
ドウアのこの作品では、
お互い愛情を持ちつつ
それぞれの生活に介入してくる「異文化」に
戸惑いと好奇の目と批判を向けてるって感じがしました。
(2001年8月28日)

 2015_03_27




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