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アゴタ・クリストフ「昨日」
早川書房

アゴタ・クリストフはハンガリー生まれで、
ハンガリー動乱のときに亡命してきた人。
現在はスイスにすんでらっしゃるようです。

で、
アゴタ・クリストフと言えば
「悪童日記」3部作なんだろうなぁ、
と思うんですが、「昨日」です。

その前にちょっと
「悪童日記」3部作のおさらい的ご紹介からさせてね。
まず、
「悪童日記」は、
戦火の中、たくましく生き延びる双子の孤児の物語です。
まさに「恐るべき子どもたち」といった少年達の姿を、
淡々と、
彼等の感情の吐露を一切拒否する形で進められていく物語で、
驚愕のラストシーンが用意されてます。

「ふたりの証拠」は続く第2作目。
1作目で離れ離れになった双子
のうちの一人が主人公になっています。
が、
読み進んで行くうちに、
どんどん読者は??の渦に巻き込まれていくことでしょう。
「え?アレの続きなんだよ…ねぇ…?」
って感じで。
少年は青年となって、
世界観はより深みを増して行きますが、
前作との流れを期待してた読者を
完膚なきまでに裏切る展開について行けないとちょっと辛いかも。

「第三の嘘」で、物語は完結します。
「ふたりの証拠」を読み終って、
おぼろげながらに、
「そういうことなのかなぁ」
と思ってる形を
またまたぶっこわしてくれる物語。
っつーことは、
最初の「悪童日記」もあれはこういうことなの??
って感じで
前に読んだ本の印象さえも変えてしまう
恐るべき一冊とも言えるのではないかしら。
前2作と比べると世界観も難解で、
登場人物たちの魅力も薄いかも。

さて、
メインの「昨日」ですが、
これは「悪童日記」3部作から4年後に発表された
独立した1篇。

相変わらず淡々としてて、
読む側に主人公への感情移入を許さないような寡黙さがあります。
やっぱり主人公は亡命者で、
彼はほそぼそと工場で働きながら、
延々と習作を書き綴る毎日を送ってます。
その彼の前に
少年時代の忌まわしい記憶の登場人物だった少女が
人妻として登場してきます。
そしてふたりは恋に落ちますが…。

彼の日々の暮しと
少年時代の回想が渾然一体となって紡ぎ出す世界は
やたら幻想的。
みじめったらしい暮しと
悲惨な少年時代が描かれてて、
ラストシーンも苦いのに、
不思議な甘さがあります。
(読了日不明)

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 2016_04_25




スタニスワフ・レム「ソラリス」
国書刊行会 (沼野充義訳)

ソラリス・ステーションに降り立ったクリス・ケルヴィンは、
そこに漂う不穏な空気に戸惑った。
様々な容器やパラシュートなどが乱雑に放置され、
床には書類やゴミが散乱していたのだ。
開いていたドアの中に入ると、一人の男がだらしなく椅子に腰掛けていた。
スナウトといって、
ギバリャンの補佐役をつとめているサイバネティクス学者だった。
彼は何かにひどく怯え酔っ払って
まともにケルヴィンと会話することが出来なかった。
なんとか聞き出せた話によると、
今日の明け方ギバリャンは死に、
サルトリウスは上の自分の実験室にこもって
夜まで出てこないということだった。
そして、スナウトは謎めいた忠告を付け足した。
「おれでもなく、サルトリウスでもない誰かを見つけたら、
そのときは……何もするな」

ソラリスは赤色と青色の二つの太陽のまわりを
安定しない軌道で回っている惑星である。
ほぼ全面を覆う海と、わずかな台地。
酸素はなく、陸地に生命体はみとめられていない。
ではソラリスの表面のほとんどを覆うという海はどうだろうか。
これは長く地球で論争されてきたことだった。
端的に言えば、
天才的な能力をもった巨大な前(プレ)生物か、
あるいは、地質学的に形成された重力ゼリーか。
現在、ソラリスは
たった一つの生命体を有する惑星であるという説に落着いていた。
そして、この唯一の生命体であるソラリスの海と
人類がコンタクトをとることが出来るのか
という問題と長く取り組んできたのだった。

ギバリャンの自室を調べた後、
ケルヴィンは廊下で巨大な黒人女の姿を目撃する。
女はケルヴィンの姿にまるで気がつかない様子で通りすぎ、
ギバリャンの部屋へ入っていった。
あれがスナウトの言った「誰か」なのか。
ギバリャンの部屋で見つけた本に朱線の引かれていたアンドレ・ベルトンという、
かつてソラリスへ調査に来ていたパイロットの身に起こった事とは……。
自殺したギバリャン博士、
自室に誰かと籠っている様子のサルトリウス博士、
詳しいことは何も口にしようとしないスナウト博士。
何もかも狂っている。
しかし、これは狂ったケルヴィンの頭が見せている妄想ではないのだ。
その確信を得た直後に、
彼の前にかつて自殺した恋人ハリーが現われたのだった。

うは、ちょっとあらすじが長すぎました。
あらすじ書くのって難しいわ。
映画「ソラリス」について難解だ難解だと聞いていたので、
結構身構えながら読んだ部分があるのだけど、
なんだかとても読みやすくて、
物語へ入っていきやすかったので驚いちゃいました。

ケルヴィンの死んだ恋人、
というかソラリスで彼の前に現われた恋人ハリーが
なんかとても切なかったですね。
どんどんと彼女の理性や感情が人間として整っていく過程は溜息ものですよ。
そして、なによりもこの静けさ。
物語が進めば進むほどにその静謐さは深くなっていくんです。
読了後の余韻も、こう、
おなかの底でゴーンと何かが響いてるみたいな感じ。

作中にちりばめられた、
ソラリスについての長い研究のさまざまな記録の一端を
読んでいくのも楽しかったですね。
読めば読むほどわからない星で~。
ソラリス学の歴史の深さと、結局未だ何もわかってないって事実。
読み始めて初めの方で想像した
ミステリアスで動きの多い(アクションという意味じゃないけど)SF?
って手ごたえとはまた違う味わいが楽しめます。
作中では順番どおりにソラリス学についての記述が出てくるわけじゃないけど、
読んでるとちゃんと頭の中で統合されていくんですよね。
うーむ、これがレムの筆力ということでしょうか。
ストーリーだけを抜き出して追っていっても
充分に素晴しい作品だと思うけど、
やっぱりこのソラリス学についての記述がキモですよ。
多分。

「ソラリスの陽のもとに」飯田規和訳との違いですが、
どうも、旧訳の底本がロシア語訳だったのに対して、
新訳はポーランド語からの直接の訳ということと、
旧訳が原稿用紙40枚分ほど削られているのに対して、
完訳だということ。
どうもネットで情報収集したところによりますと、
この補完された部分のほとんどが
ソラリス学についての記述の部分だということです。
あとがきによると、
出来るだけレムの叙法のテイストを正確に取り入れたのが新訳、
ということみたいです。
となると、もしかしてもしかして、
旧訳の方が読みやすかったりするのかなぁ……。
(2005年6月28日)

 2016_02_11




スタニスワフ・レム「完全な真空」
国書刊行会

これは1971年に書かれた、架空の本の書評を集めた書評集なんです。
15篇の書評と、一篇の講演テキスト。
この講演というのも、レムが行った講演ではなく、
アルフレッド・テスタ教授が
ノーベル賞受賞の際に行った講演のテキストというもの。
どこからどこまでが現実にあることで、
どこからどこまでがレムのオリジナルなのか
判別がつきにくいところが憎いですね。

憎いけど、これがまた面白いんですよ。
でも、すべてが面白いと言えないのがつらいですね。
元ねたがある、または評論の中で比較されているものを知ってないと
全然わかんないものが多いんだもん。
と、いいつつ
わからないなりにうひひって笑えちゃうこの面白さって一体なに?
この「うひひ」がまた……暗い笑いなんですよね。
我ながら、はっきり言って。
ワカンナイけど何だかニヤニヤしてしまうというか。

全体的に言うと、
私は「虚数」の方が読んでるときのワクワク度が高かった気がしますが、
もちろんこの「完全な真空」も面白くなかったというわけではありません。
いくつかの本に関しては、
ああ~っ、その本自体が読みたくなるじゃん
って気持ちに襲われてしまったぐらい。

無人島に漂着した男がその空想の中から下男や下女を作り上げ、
しまいには無人島が群集でいっぱいになってしまうという
マルセル・コスカの「ロビンソン物語」とか、
ストーリーははっきりとはわからないけど、
何やら十四歳の白痴の少年の物語で、
「白痴が病気のおばあさんを殺したのか―
つまり、自分の手でおばあさんにとどめをさしたのかどうかは、
結局読者にはわかりません」
と書評で書かれてる
ジャン・カルロ・スパランツァーニの「白痴」とか、
その本自体が凄く読みたくなる書評でした。
(2002年9月28日)

 2016_02_10




スタニスワフ・レム「虚数」
国書刊行会

面白かったー。
最初パラパラっとめくったときは、
こんなに面白がれるとは全然想像してなかったですけど、
いや~単純に面白かったですね。

この本、序文しかないんです。
まず「日本語版への序文」があって、
レムによるこの作品の「序文」そして、
本編も、実は序文なんです。
ってゆーか、
この本は「未来に出版されるはず」の本の序文を集めた序文集なんです。
私はまだ読んでないのだけど、
レムには架空の本の書評集もあるんだそうで、
それも是非読みたいですねぇ。

この本には、4冊の本の序文と
「ヴェストランド・エクステロペディア」の見本ページ
などが収録されてるんですが、
私は始めの三つ、「ネクロビア」の序文と
「エルンティク」の序文と、
「ビット文学の歴史」第一巻の序文がすっごく楽しかったです。
「ネクロビア」は、人体をX線で撮影した写真集で、
序文ではその写真と撮影者が見るものに与える「死の哲学」についてかかれてます。
「エルンティク」は、
バクテリアに言語能力を持たせることに成功した科学者の本で、
序文だけじゃなくて、
もっと読みた~いって思わせるぐらい面白い序文になってました。
「ビット文学の歴史」は、コンピュータ文学の歴史の本なんですが、
このコンピュータ文学ってのは、
コンピュータを使って書かれたという意味ではなくて、
コンピュータが自ら作り出した文学のこと。
人間が作り出した文学から
コンピュータが作り出すビット文学へ移行していく時代の
人間の驚きと困惑などがちらりと書かれてて、
きい~っ!本編が読んでみたいよ!って気にさせられましたね。

結構小難しい言葉が並んでて、
ちょっと見には、うわっ……わかんねぇ~って
引いてしまいそうな「理屈」に溢れてるんだけど、
これが全部「うそっこ」だって思って読むと、
急に面白くなっちゃうんですよね。
理解しなくてもいいんだ~、
ただただうそっこの世界を楽しめばいいんだ~
って思うと気楽に読めたんですよね。
深く突き詰めて読めば、
多分もっと奥深いものがあるんでしょうけど、
私なんて単純に面白がれちゃったもんね。
(2002年9月23日)

 2016_02_09



イヴァン・クリーマ「僕の陽気な朝」
国書刊行会

作者クリーマは、
「クンデラと並ぶチェコ文学界の巨匠」
なのだそうです。
クンデラをして
「世界で最も多く翻訳されたチェコの作家」
ということらしいんですが、
日本ではほとんど聞かない名前ですね。残念です。

チェコスロヴァキア時代のプラハに生まれ、
一度は国外に出たものの、再びチェコに戻って、
ビロード革命までの20年間を発禁作家として
さまざまな制約下に暮しながらも、
海外出版を続けていたという作家なんだそうです。
ユダヤ人技師の家庭に生まれ、
幼年時代はテレジーンのユダヤ人ゲットーですごしていたとか。

さて、本書ですが、
これは「月曜日の朝」から始まって
「日曜日の朝」までの7つの作品を収めた短編集。
なんですが、
すべての作品が「僕」または「わたし」の一人称でかかれていて、
どうやら発禁作家として、
「いかなる資格を必要とする仕事」
にもつけないことになっている男が主人公みたいです。
作者本人がモデルなのだと思います。

祖国を愛している、
いずれこの国に必要な人間だから、
とにかく亡命はしないで、
チェコで発禁作家として病院の下働きやら、
闇の魚売りやらとして働いたり、
海外で出版するための作品を書いたりしながら暮す主人公。

諦観の中に漂う何とも言えないユーモアと皮肉、
でもその目はけして否定的なものではないんですよね。
なんだろうな~、誠実な視線、
という感じがしました。
あまり洗練されてないというか、
クールではないところに逆に魅力があるという気がしました。
うん、面白かったです。
できればもっと読んで見たい作家ですね。
(2003年4月11日)

 2015_05_08




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Sima

Author:Sima
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