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「現代日本文学全集」38巻
現代短歌集
現代俳句集
と、
いう本を入手しました。
現代っていっても、
昭和四年発行。
昭和四年に於ける現代なわけです。

明治天皇のお歌だけ
巻頭銅凸別刷で
しかも活字じゃありません。
時代ですなぁ。

その後に目次があって、
まず短歌、次に俳句がならんでます。

しかし、現代、かぁ
と思わせる名前がずらり。
山縣有朋
森鴎外
與謝野晶子
北原白秋
石川啄木
岡本かの子
窪田空穂
正岡子規
伊藤左千夫
長塚節
斉藤茂吉
土江文明
これらは短歌集の方のごく一部ですが、
さすがに古い「現代」ですねぇ。
しかし、
しかし、
四年とは言え、昭和の時代。
大正が短かったとは言え、
二つ前の年号の時代に既に亡くなった正岡子規が
ここに載っているというのが、
なんとも言えない感慨みたいのを感じますね。
短歌の方の歴史については
まったく不勉強なんですが、
それでも想像はつきます。
俳句も短歌も、
子規が改革をした後、
小さな運動の勃興はあったかも知れないけど、
この昭和四年まで、
がらっと流れを変える大きな動きがなかったんでしょうね。

ちなみに、
中身はこれからちょこちょこ読んでいくつもりで、
まだ読んでません。

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 2015_03_16




前回に引き続いて、
「角川俳句」2月号の感想。
読者投稿欄である「平成俳壇」から。

題詠(きのこ・坊城俊樹選)に、
面白い句がありました。
雨よりも濡れて滑茸群れてをり 辻梓渕
特選の句でした。
これを平仮名に開くと
「あめよりもぬれてなめたけむれてをり」
ああ、なんてぬめぬめした字面だろうか。
これを声に出してみて欲しい。
ね。
もっとぬめぬめになる。
しかし、この「滑茸」は
いわゆる「なめ茸」じゃなくて「滑子」だね。
「なめ茸」の材料のエノキは、ぬめぬめ感無いし。

教卓にきのこ遅刻の子がふたり 松井トシ
さて、題詠からもう一句書かせて欲しい。
実は、この句を一目見た時に、
教壇にきのこ遅刻の子がふたり
と見間違ってしまって、
教壇に立たされている二人の子供が浮かんじゃって
面白すぎると思っちゃったの。
昭和も前半かなあ。
「となりのトトロ」に
田植休みってのがあったけど、
きのこ遅刻もあるのか…
いや、無いから叱られて立たされてるのか
と、
ここまでしっかり楽しんでから、
教壇ではなくて教卓だったと気が付いた次第。
教卓にきのこ/遅刻の子がふたり
ということですね。
しかし、やっぱり遅刻の理由はきのこなのか。

以下は
平成俳壇の自由詠から。

白線はルールの始め運動会 齋藤眞一郎
出口善子氏の「推薦」。
(推薦は、一番いいやつグループらしい)
「白線はルールの始め」ってぐっとくるフレーズだなぁ。
下五の「運動会」が
わたしの好みからすると、やや最後に答合せっぽくて
どうにかならないかと思わなくもないけど。

火の奥に火の立ち上る寒さかな 國分稔
この句は名村佐智子、嶋田麻紀両氏からの推薦。
焚火か何か、
とにかく屋外で、
ある程度の大きさの、
でも、一人で何とかできる程度の大きさの火と見ました。
シンプルな言葉のみで火の力強さ、
冬の冷たい風と乾いた空気とか出てますね。
ちょっと上手すぎるか
というのが難点じゃないかと思える上手さ。

突堤に寝かす自転車鯊日和 中かつえ
こちらは星野高士氏の推薦。
イイですね。イイ雰囲気。
鯊日和とは、鯊釣りにもってこいの上天気という秋の季語。
わたしは釣りもしないし、海の近くにも住んでないんですが、
まさに天高し、というような
気持のいい秋晴れの一日が浮かんで来ます。
風が強いんでしょうね。乗って来た自転車を倒してるのって。
自転車が倒れるぐらい風が強く吹くことを知ってるという
常連さんですね。
人の姿も空の姿も出てこないけど、
しっかり浮かんできます。

咳烈し痰といふ字に火が二つ 大森蛍子
最後は嶋田麻紀氏の推薦の句。
「痰といふ字に火が二つ」
「いかにもひどい咳込みよう。
痰という字に火が二つあるように痰を伴う咳なのだ」
と、嶋田氏の評の中にありますが、
いや、ほんとに。
「激し」ではなくて「烈し」という言葉が
もう、喉ももうすぐ裂けそう。
…って、
そんな咳をしながら、
蛍子さん、何してはるんですか…
と、突っ込みたくなるわたし。
いや、わかります、わかります。
風邪薬を飲もうと手にとって、
パッケージに「痰」ってかいてあったのね。
で、それを見て、
あ、火が二つ
と発見した、と。
何その突然の冷静さ。
でもそういう、個人的火急の折に、
ふいにヘンなことが気になって仕方ないことありますよね。
発熱してやばい
という時に、
あ、月が変わったのにカレンダー先月のままだ
って気が付くとか。
ちょっと違うか。

そんな感じで、「角川俳句」2月号の感想を終ります。

 2015_02_04




ここのところ、
どっぷり短歌にひたっているので
逆に新鮮な気がしないでもないですが、
今日は「角川俳句」2月号の感想を。

特別企画の
「男の恋句、女の情句」
タイトルはいまひとつ良いと思えないけど、
けっこう楽しかったです。
ちなみにわたし自身は恋愛の句はほとんど詠みません。
まあ、同じ結社に両親がいるので、
気恥ずかしい、ということもあるかも。
俳句で詠んだ事は全て真実と信じているタイプの人に
「あらあら、そんな恋があったの」
とかニヤニヤされても
しんどいばっかりだし……
という感じで。

さて、これ以降、
好きな句を並べていきます。

乾坤の一切となり鷹去れり 正木ゆう子
いやー、鮮やか。
乾坤は、「乾坤一擲」の乾坤。
天地であり、陰陽であり、上巻と下巻、
つまり二つで一つの世界になるもの、なのかな。
雲一つない空を、一羽の鷹が飛んで行く景。
その堂々とした姿とスピードが、
瞬間的に世界の全てになったって感じでしょうか。
「乾坤の一切」の音の感じも鋭くていいなぁ。
「天地(あまつち)」じゃ、この鋭さはない。

山猫になりにゆく猫木の葉飛ぶ 西山睦
猫がさー、山に行ったからって山猫にはならないよね
というつっこみは無粋。
(といいつつ書いてるな)
作者は初冬のある日、山の方へ歩いて行く猫を見た。
多分、それだけを詠んだ句だと思うんだけど、
「山猫になりにゆく猫」だって
作者は直感的にそう思った、と。
猫がさー、山に(略)
的な、話ではないんだよ。
作者自身が本当は山猫になりたいんだ。

という風に読みましたが、どうなんだろう。

だれもみな母なきよはひ雪螢 橋本榮治
母恋系の詩はズルイと思うの。
よっぽどじゃない限り、誰もが身につまされて
グッと来ざるを得ないもん。
と、いう
わたしのひねくれた色眼鏡を介しても
この句はグッとくる。
もう、すでにその齢(よはひ)に達している人も、
いつか、その齢になる筈の人も、
そんなことは考えたことがなかった人も
「だれもみな母なきよはひ」に到達するんだよね。
下五に置かれた「雪螢」が
静謐な夜を感じさせて、
またぐぐっと読まされます。

薄氷ふいと鳥影よぎりけり 藤本夕衣
こういう、ささやかだけどやさしい世界に
ちゃんと目が留まる人って
いいなぁ。
水溜りか、水が張った何かが薄く凍った
小さな薄氷なんでしょうね。
そこに鳥影がよぎった、と。
小さな鳥影だったんだろうな。
「ふいと」は不意の「ふい」じゃなくて
オノマトペの「ふい」。
ふいっと
という軽さも、薄氷の淡さや鳥影の小ささに
よく響き合ってて
やさしくて、小さくて静かな世界が見えた感じでした。

駅前はバターの匂い冬はじまる 小林鮎美
うん、冬って匂いから始まるよね。
例えば、家の外に出て
鼻をすんって抜けるちょっと乾いたような匂いとか、
人の近くで、
繊維のほわっとする匂いとか。
駅前は、
こう言われて見ると、洋食屋さんの匂いは
冬のはじまりにぴったりかも知れない。
ちょっと心にも気温にも余裕がある
冬のはじまりの匂いだね。

という感じで今日は終り。
次回は「平成俳壇」の感想を書こうかと思ってます。

 2015_02_02




「後藤兼志全句集」

遺句集はいい。
いいというと語弊があるかも知れない。
作者が亡くなったという事だから。
それでも、
やっぱり遺句集はいいと思う。
出来上がった本のうしろに、
作者を悼む人々の姿が見えるから。
選句、
選んだ句の並べ方、
どれも、編者の思いが籠っていると思う。

わたしは、後藤兼志さんとも、
この句集に関わったどなたとも面識は無い。
わずかにお名前と、句をいくつか知っている程度である。
それでも、ついこの句集を求めてしまったのは、
わたしと彼らとが、
ほんの一瞬だけ、「河」誌上ですれ違ったことがあるから。

たまたま、思うところがあって、
かつて参加していた「河」の古いナンバーをひもといていたところだった。
そこに、平山雄一氏による「後藤兼志全句集」の告知を目にして、
なんとなく懐かしくなってしまった。
多分それだけの理由。


気取らない、優しい句集だった。
ソフトカバーの文庫本サイズ、どこへでも携帯できる。
汚れを気にしなくていい、つるつるの表紙もいい。

収められた句も、やっぱり、
気取らない、優しい句だった。
新奇を衒わない、ゆったりとした詠みぶりは、
長く俳句と共に過した余裕だっただろうか。

前半の「風」には、
飄々として、少し枯れて、
そして優しい眼差しが感じられる。
普段誰もあまり気にしない「その後」を詠んだ句が目につく。
こういう所に、さりげなく触れるという優しさが印象に残った。

送り火のあとかたもなく掃かれけり

揺れ足りしものより枯れのはじまれり

夜神楽をはなれて誰も火の匂ひ

七夕をきのふに竹の乾きけり

観月の戻りを月と歩みけり


食べ物が登場する句がいくつかある。
そのチョイスが大人の男性の句だなと思える。

洗鯉余談と言ふが本音なる

蒟蒻も豆腐も水にあけやすし

今日よりの春なり赤福餅二つ


遺句集だというわたしの先入観もあるだろうが

短夜にして病室の夜の余る

の句のリアル感に胸が詰る。


後半の「遊」は、
意欲的で若々しい句が並ぶ。

はたた神連れて甲賀の薬売り

万緑へ開かれてある聖書かな

すごろくの上がりの街を衿立てて

白魚の少し透けたる淫らかな



次の句は、平成三年から五年のものだという。
作者40代中頃というところだろうか。
今の私と大体同じぐらいの年齢と言っていいだろう。

うまく歳とれぬ柚子湯に浸りゐて

「うまく歳とれぬ」という上五から中七にはみ出した措辞に、
この年齢ならではの、焦燥感が立体的に感じられる。
きっと、この年代はみんなそうなんだろうと思う。
しかしこの後に続くのは、「柚子湯に浸りゐて」である。
俳人としての焦りならば、「柚子湯」が皮肉に響くが、
俳句を離れた一個人としての焦りならば、逆に救いになる。
少なくとも、
柚子湯を用意された奥様は、
きっと上手く歳をとられているのだろう。
そんな奥様になれない私は、今もただただ焦るばかりである。

その他、「遊」で好きな句を挙げておく。

雪に田をあけわたしたる明るさよ

ぱらぱらと雨来て鬼をやらひけり

子蛙やいのちといふはやはらかし

これよりは行きやうもなく蘖す

遠くまで遠くまで行く残り鴨



「後藤兼志全句集」
『風』ふう (平成八年~平成二十四年)
『遊』ゆう (昭和五十五年~平成八年)


『後藤兼志全句集』刊行のお知らせ

 2014_11_24




うわ やられた…
今日届いた本なんですが…

これが納品書ね

ryousyu00.jpg

悲しき玩具
大須賀乙字選

という文字が見えるでしょうか。

えー
そんなものがあるの?

思わず購入しちゃったんですが…

これが表紙

takubokubook202.jpg

具玩きし悲
著木啄川石

行發堂雲東
年五十四

とあります。
ちなみにソフトカバーではありますが
天金でございます。

で、どこに大須賀乙字って関係したのかなーと
めくってみると

takubokubook02.jpg


下がくっついてる
ふっ袋とじ!!
8ページが一セットでくっついてます。
面付けそのままー

これが
「初版本を忠実に復元」
の威力か…
読みにくい。


です。

結局
どこをどう見ても
大須賀乙字選というものは
見えずじまい。

なんなんでしょうか。
わたしは
どうすればいいんでしょうか。
 2014_09_22




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