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大須賀乙字の俳句(T5)

八 亜浪「石楠」(大正五年)

大正五年の大須賀乙字の句

昼寝覚め雲に呑まるゝ眩しさに 乙字
大正五年七月に、
臼田亜浪、風見明成、木下蘇子、吉田冬葉らと
飯能から天覧山、所沢に遊んだ折の飯能行五句のうちの一句。
天覧山は標高一九七メートルほどの比較的低い山だけど、
現在も眺望が良く、ハイキングなどに好まれるらしいです。
掲句もこの天覧山での作と思われます。
山頂ですこし横になってうとうととした乙字が、
目覚めてまず目にしたのが空だった、って感じでしょうか。
「雲に呑まるゝ眩しさに」の措辞に、
白い雲と抜けるような青空の広がりが浮かびます。
この旅では、
所沢で亜浪の弟子らと合流して一泊してるんですが、
鼻の悪い乙字のいびきと
鼻は悪くないがひどかった蘇子のいびきに
一同が悩まされたと言うエピソードがあるらしいです。

この大正五年の句は、『乙字句集』に載っているものを数えてみて、
上記の旅吟五句のほか、新年二句、春三十二句、
夏四十八句、秋四十二句、冬三十三句。

馬を放つ日のゆくりなう冴え返る 乙字

忘れ霜すかんぽ既に甘きかな 乙字

森うしろ染めて暮るゝに囀れる 乙字

落雷の光海に牧場一目かな 乙字

落蛾墨をひいて手紙をよごしけり 乙字

水際まで闇迫る月見草に立つ 乙字

槻風の山ゆ新涼到りけり 乙字

船底の閼迦に三日月光りけり 乙字

書き物も端居にぬれつ天の川 乙字

荷馬返せば急に更けたり虫の宿 乙字
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 2015_04_05




七 碧梧桐との訣別(大正元年~四年)

大正四年の大須賀乙字の句

この年、特に秋以降にぐっと句が多く残されてます。
大須賀乙字の私生活を考えると、
そうなんだろうなと。
『乙字句集』から引くと、
この年は新年一句、春二十八句、夏二十八句
そして、秋四十一句、冬四十四句
それとは別に、旅吟四十四句があります。

高鳥の巖めぐり澄ます空の秋 乙字

大正四年は乙字にとって劇的な一年でした。
妻千代の死の痛手も癒えぬ内の海紅堂での事件、
それによる碧梧桐と「海紅」との断絶。
傷心の乙字を慰めたのが、旧友の相沢暁村でした。
なんとか乙字の心を慰めてやりたいと、
当時暁村が住んでいた十和田に遊びに来るよう勧めてくれるんです。
以前から手紙のやりとりはしてたみたいなんですが、
顔を合わせるのは百文会以来
実に十一年振りだったとか。
八月六日に十和田に到着して、夕方六時から十二時まで歓迎句会を開き、
その後鶏鳴まで話が弾んだと暁村が書き残してます。
九日に暁村と別れた乙字は、そこから男鹿半島へ足を伸ばします。
掲句はそこでのもの。
「高鳥」は高い所を飛んでいる鳥、
この句の場合はミサゴだったらしいが乙字の造語なんだとか。
巌の上を悠々と飛ぶ鳥の姿が、
「空の秋」という季語で格調高く大景を写し取ってます。

この句の句碑が男鹿半島にあるんだそうです。
俳誌「新雪」の主宰だった熊谷詩城が建立したものなのだとか。
俳誌「出雲」平成五年四月号に
この熊谷詩城氏の寄稿した乙字忌の句があります。

みちのくに遺弟いくたり乙字の忌 熊谷詩城


峠踏みもこれきりの残雪となりぬ 乙字

萱山に凧あげて友なかりけり 乙字

遠く夕立つて来る森音を聞きゐたり 乙字

手向花蝸牛のゐし払はずよ 乙字

  蔦の湯にて小集
夜雨しばしば照り極つて秋近し 乙字(十和田行)

  十日大湯にて小集
奥牧の広さはかられず天の川 乙字(十和田行)

西ゆ北へ雲の長さや夕蜻蛉 乙字

土手の向き森に離るゝ寒さかな 乙字

寒雁の聲岬風に消えにけり 乙字

背戸鎖してからりとしたり総落葉 乙字

落葉掻くは亡き母の後ろ姿かな 乙字

 2015_03_01




七 碧梧桐との訣別(大正元年~四年)

明治四十五年から大正三年の大須賀乙字の句


火遊びの我れ一人ゐしは枯野かな 乙字
大正三年の作。
大須賀乙字の句の中でも有名な句なんだと思います。
少年時代の回想と、
現在の枯野に立つ自分とがふっと交わる、
荒涼とした心象を描き出した境涯性の強い一句。
この句について乙字は
同年十一月に大江瑞光に宛てた手紙に
これは小生の少年時の姿です、
かういふ叙景ではない抒情的の句は數多く作るものではないやうです、
敢へてそこを覗はず自然產るゝ時のあるのを待つ方がいゝと思ひます

と、書いてます。
でも、多く作るものではないとは言いながら、
境涯俳句を作るべきではないとは言っていないわけで。
それは後に村上鬼城を激賞したところからも
覗えるところだろうと思います。
実際、乙字自身もこの句を気に入っていたらしく、
染筆を乞われるとよくこの句をしたためたという話。

ちなみに、一応明治四十五年から大正三年とは書きましたが、
以下の句は、すべて大正三年に作られたもの。
その前の二年は、
前にも書いたけど、ほとんど句がないんですよ。


火の山の暮れ映ゆる花菜一望に 乙字

梅雨寒やこの頃棟にゐつく鳥 乙字

亡き父しのぶ曝書の吾れの笠の影 乙字

 里にて療養の病妻にいひ遣はす
行々子裏田夕風に吹かるゝな 乙字

蚊にむせて樹下掃く母を帰省しぬ 乙字

竹むらに冬日こんこんとさす一村 乙字

行李明けて形見皆読む小夜千鳥 乙字

ひつひつと冬木鳴る丘の夕日かな(月山登山) 乙字

笹床を月てらしをり風の音(月山登山) 乙字

蜻蛉に茫々と沼を拓きをり(月山登山) 乙字

 2015_02_08




四 新傾向批判(明治四十二年~

明治四十二年から四十四年の大須賀乙字の句


荘に落す瀧ありて花野裾広に 乙字
明治四十三年の作。
屋敷か山荘のようなものかは判らないけど、
一条の滝を落す家があって、
その家の前に花野が広がっているという景を詠んだ句。
前にも書きましたが、
この頃乙字の句作熱はめっきり下がっていた模様。
年別に分けられた「乙字句集」を見ても、それは顕著です。
乙字の周辺で燃え上がっていた新傾向俳句の熱と
乙字自身の作句熱は反比例しているわけです。
乙字は新傾向のどんどん進化、あるいは変化に反発するんですが、
どうしても新傾向に影響されていたようで、
乙字の弟子だった吉田冬葉は、
後に「乙字俳句の揺れていた時代」と評してます。

鬼栖めば花赤き島霞みけり 乙字

砂金掘渡るとも聞く島霞む 乙字

蚊帳を出て星うかゞへば夜半かな 乙字

奥牧の夕焼見えて冬の山 乙字

蔵見ても傾く運や枯柳 乙字

寄進にも名連ねし縁や返り花 乙字

蓬踏む土ほてりして虻の聲 乙字

火口落すより旅憂かる女郎花 乙字

凧悲しうなりぬ母星かゝる森 乙字


 2014_12_09




三 新傾向の発見(明治四十年~四十二年)

明治四十年から四十一年の大須賀乙字の句

「乙字句集」は、年別、季節別に分類されてて
題のついた旅吟は、また別に掲載されてます。

明治四十年は、春二十一句、夏六十四句
秋五十四句、冬二十二句
明治四十一年は、春十一区、夏三十三句
秋三十一句、冬三十五句
それと
旅吟十句があります。

歌の意を尾上に思ふ芒かな 乙字
明治四十一年十一月、
乙字は、喜谷六花、小沢碧童、松本金鶏城の四人で
碓氷に遊んでます。
この旅を碓氷行、妙義の秋として発表。
ここに掲げた句はその碓氷行の中の一句です。
前書があって
「吾妻早や」。
碓氷峠でヤマトタケルが
亡き妻を慕って「吾嬬者耶(あづまはや)」と嘆いたという
「日本書紀」の古事に思いを馳せた句。

野遊や肱つく草の日の匂ひ 乙字
  放牧
仔馬には里初めてや余花白き 乙字
干草に静まる蝿や夏の月 乙字
夏川や温泉疹吹かるる釣心 乙字(疹かせ)
灯二つの一つ消えたり秋隣 乙字
酒肆訪ふて秋近き心動きけり 乙字
西を吹く雲に日落つる秋の海 乙字
石畳冷ゆれば見えぬ蜻蛉かな 乙字
麻殻焚く火淋しく住めり渡り鳥 乙字
落す石の谺かへしぬ枯尾花 乙字(旅吟 碓氷行)
  鼓岩
鼓岩其緒を余す紅葉かな 乙字(旅吟 妙義の秋)
迷ひしを裏山と知る芒かな 乙字
冬籠火上に瞳涸らしけり 乙字
論募る顔に炭火の熱しけり 乙字


 2014_10_28




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